日本のありとあらゆる老若男女を見て思うのは「軟弱」である。

「軟らかく弱い」

これで何が出来るのか、と思うことが多々あります。

多事において臨機応変で 柔らかく、応対できるのは良しとされることですが、

それは出来ず、

ただおろおろと迷い、人にすぐ意見を求め、自身で何もできない。

これは大きな問題なのです。

3.11の大震災の時にリアルタイムで感じたことですが、

あの時には、横浜では2:46に最初ユラユラユラと3~5秒ぐらいしてからグラグラグラっと大きな地震が来ました。

そして10秒ほどでしょうか震度4~5ぐらいの感覚が続きました。

私がいた喫茶店のシャンデリアが大きく揺れ動き 天井に当たるか当たらないかを見ていました。

咄嗟に見たのは「出口まではここから5~8mぐらいだな、あれが当たって落ちてきたらすぐに移動はできるな」そう直感しました。

少し動きが収まってから私はさっと外へ出ました。

そこでもう一波が来ました。

私は武術感覚が生きているので揺れながらも早歩きで安全だと思う方向へ歩きました。

周りのほとんどの多くは立てずに地面にしゃがんでしまい「あ、あ~」とか「キャア~」とか声に出していました。

私の直感では正直「何やってんだ、動け!」と感じました。

二度目の波は結構長く続きました。

そして一度収まり、講習会の会場へ行き そこから避難をしました。

そこで思ったのは全員という全員が携帯をいじっていることです。

「何も判っていないな。バカな!!、全員という全員がいじればすぐに回線はパンクするだけだ」

私はその光景を見てすぐに携帯の電源を切り、後に必要な時にまでバッテリーを温存するようにしました。

その後もう一度三度目の地震が来て、アスファルトが動くほどの波を感じました。

周りは泣き出す人や、男連中は「何、何、何!?」と携帯をいじりながら言葉を連呼して何もできませんでした。

「甘い」

私はそこからすぐに歩き始め帰途に着きました。

帰る途中に思ったことは、戦争が起こった時ってきっとこんなもんなのだろうな、という感覚でした。

今思い出して、いろいろと感じています。

軟弱人間というのは何もできない、ただそのまま見殺し、気付いたら自身も死ぬだけなのでしょう。

日本全国、多くの世代での老若男女、軟弱人間たちはとにかく多いと思います。

私は、意識を堅く、そして硬く、強く、何があっても起きても生き抜く力を持つ。

そういう人間たちとこれから何があっても生き延びてみせる、

もし「戦い」ならば戦ってみせる、そう思ったのです。