今朝は先ほど野外太極拳教室を行ってきました。

ちょっと空は曇りがちで寒い朝でしたが皆さん熱心に頑張っていて、清々しい練習活動になりました。

帰り道に少しお話をしながら気付いたことなので少し記しておきます。

私たちが祖国「日本」を想い、アジア全体の未来を考える時、あるいは何らかのアクションをする場合には大事なのはアジア歴史の中での区分を考察に入れながら、

今の自分はどの「日本の立場」での考えだ、ということも明確に言えるようになることが大事に思います。

私は武術が専門で中国との直接交流をいつも行ってきました。

当然中国の歴史に通じていなければ本当の交流になりえないし、意志の疎通をするのは難しいと思います。

ベテランになればなるほどいつまでも初めて中国を訪れた人のような意識感覚からもっと進化させなければならないと感じています。


例えば紀元前後2~3世紀ぐらいの三国志の時代観から考えるか、

シルクロードからの交流のあった隋唐の時代か、中国伝統文化の隆盛をした宋の時代か、モンゴルの元か、

漢民族が取り返した明か、満州族の清か、中華民国か、

共産国家から資本主義にも変化した今の中華人民共和国か、で解釈は当然全部が変わることがあります。

日本人における意識での「中国」とは漠然としすぎていることがあるので、今後はもっと研究が必要だと思います。

そして「日本」も当然歴史の上でも異なり、

現代日本社会で情報の洪水から知ることに慣れてしまった自由な今の時代。

大政奉還を経て明治天皇陛下を中心にイギリスやドイツから文化を取り入れ文明開化を行いながら発展した近代日本の大日本帝国の時代。

この頃の中国での清王朝では国力が疲弊し、欧米からの進出を受けてしまい、その宗主国でもあった朝鮮半島でも力が弱まっていた時代です。

今の日本でもこの立場から「中国」を考える人もあると思います。

清を倒し革命を考えた孫文や蒋介石は日本に留学し、協力を得て後に辛亥革命を果たし中華民国を打ち立てました。

江戸時代には徳川幕府は鎖国をしたために中国との交流は一部でしか行われませんでした。

しかし福建省出身の武術家の陳元賓が長崎から関西~名古屋あたりまで関節技を中心にした武術の技法を伝えに回り、日本の着物に合わせた動作となり柔術が誕生したという話もあります。

戦国時代には小田原の「外朗:ういろう」としての交流があり、

室町の足利義満の時代は明との貿易を盛んに行い陶磁器や茶文化の発展につながりました。

つまりは文化交流の歴史では非常に長く、経済交流のつながりはこのごく最近である、ということも意識に置いた方が良いと思います。

最近世間に流されている情報は、経済や軍事面におけるものが多く、これも意識して対処しながら考えておくことはとても重要ですが、

それ以外の面には意識を向かわせようとしていないのも不自然に感じることがよくあります。

私たちが国家を考える時、天皇陛下を中心に国民誰もがのびのび生きていける国造りにすべてを意識を向けることは大事です。

しかしバランス意識も大事で、

人それぞれがそれぞれに愉しく将来に不安を感じず、未来の発展を誰とでも力をあわせて頑張っていこう、という気持ちが今とても足りない気がしています。

私は純粋なアジアの平和と日本の平和、共存共栄を望んでいて、それは実現できることと考えています。