昨日の日曜日は温かい陽射しに覆われて午前~午後まで全体的に活力があって良い練習活動日になりました。

私は徹底的な現場主義です、夏の暑さでも冬の寒さでも日々のいい練習活動の積み重ねができなければ、最終的にいい運営ができなくなるのは何事であっても同じことです。

それはただ一人だけでの練習活動でも同じだと思います。


私は日本での武術界に長くいて、いくつかの団体を見てきました。

そしてこの世界を様々な角度から見て考えてきました。

よく聞かれるのは日本で武術はなかなか広まらない、というようなこと。

実はそれは違います。

大きな勉強不足があると思います。

「なかなか広まらない」とか「金にならない、仕事にならない」とか

「上手くならない」とかは武術そのものに問題があるのではなく

「やり方」に問題があることに気付いていないだけです。


私はこの世界に13歳から入り、今から12~3年前の20代後半頃には「ある共通の原因」のあることに気付きました。

これは習慣的なものでもあって、気付けない人は一生気付けないのかも知れませんし、

気付く人はすぐに気付きます。

「それ」を止めること、これに尽きました。

私は16歳の時から今までの実際に中国でいつも見てきたこと、一緒に練習して学んだ感覚、

そしてどのようにしたら日本のライフワークにぴったりなかたちになれるかを試行錯誤、トライアル&エラーを繰り返してきました。

11年前にアメリカへ一ヶ月間、一人でアメリカの武術界の視察とフィットネスの勉強で行ってきました。

そして2003年の秋にも行きましたが、そこで見た多くの現実の中はとても学ぶことがありました。

そして日本に戻ってきた時に「根本からやり直さなくてはならない」そう感じたのです。

何故なら今でもまだあるのかも知れませんが「近くて遠い中国」「遠くて近いアメリカ」の日米同盟における日本での考え方の在り方、

そしてその反対の考え方の在り方、そして「無党派層という」考え方の在り方でした。

「政治もいろいろ、会社もいろいろ、考え方もいろいろ」

これは一見正しくもありますが、

純粋にはきちんとした理念の基でなければ何一つまとまることはできなくなる問題を孕んでいることでした。

今私たちはいろいろと多くの情報を知ることができて、かつては気付けなかったことでも「気付ける環境」にあります。

この10年間、日本にあった既成団体の考え方や やり方を全部やりませんでした。

最近既成団体に所属でやっていて、ようやく「それ」に少しづつ気付く人たちが出てきたように見える時がありますが、彼らはまだ薄らぼんやりのような感覚なのがほとんどだと思います。

私はよく言います。

時間は尊い・貴いものです。

その費やしてきた「時間」や「労力」や「経済負担」の中で後になって身につかないものであるようなものはすぐに辞めるべき」です。


この日本では意図的なのか、実は気付いていないだけなのか。


これらが多すぎることがあります。

行政を頼りにせず、名のあるように見えた組織も使わず、

一度まったく何もないところから基本理念、方針をしっかり固めて0から始めて今日までやってくることができました。

今この遠い遠い回り道をしてきたようでしたが、本当に良かったと思うことがたくさんあります。

しかしまだ夢の道程は続きます。