毎週あちこちへと様々な年代の皆さんと出会い、健身気功や太極拳、武術を通じていろいろと感じられます。

そこから学ぶことは実は毎日たくさんあります。

自分はいつからか自発的意識の中から「学ぶことによって見えてくるもの」がとても重要だということに気付きました。

私自身での小学校時代はのびのびとして過ごしました、中学校高校では学ぶ意識の中で生涯において重要というものとそうでもないものとを自然発生的に選り分けられるようになったと思います。

ちょうど20数年前にこのあたりで少し気付きました。それは当時の周りの人間たちを見て思ったからです。

試験に受かるための教科書暗記や受験テクニック勉強 あるいは西洋的スポーツの英才教育ばかりを受けてやっていると脳がおかしくなってくる気がする。

実際に話をしてみて感じたのは、当時の大学進学での高学歴を目指す人間であればあるほど応用の利かなくて、発想が乏しく面白みのない人間になっていくのを直感で思ったからです。

(あくまで私の感想ですが、そのような人間たちの裏の顔を持つ趣味の世界は?!?なものが多かったいう共通点でした・・)

そうして社会に出てみてもいろいろな経験をしてきて正解でした。

世間には会社は知っていても「社会」を知らない人が多いようにも思います。

ずっと詰め込み勉強しか知らなかったから、社会に出ても詰め込み仕事だけをずっと習慣化させられている人も多い気がします。

その結果今現在の日本に多くある、実際に存在しない「仮想現実」へと深く入ってしまい出て来られなくなる人たちや、それを知りながら食い物にしている何でもビジネスの存在への注意点。

どんどんと大衆が愚かになっていくことに気付かぬ、いやあるいはそれを狙っているかのような人たちのいる世界の不気味さ。

人間という動物は、

思考は動けば動くほど人は行動と実践に自信がついてくること。

時間が経てば経つほど人間としての「強み」が持てること。

国会議員や官僚たちのやっていることを見ればわかると思いますが、

実際の今までの学校教育では高学歴になればなるほど得るものは「文字の並んだ肩書き」のみで「思考」が奪われている人間になっている事実。

マスメディアに流されるばかりで、馴れ合い社会のみで生きている人間になるのは自信や強みは持てないことがわかります。

時々本当に怖いな、と思うのは気付かぬうちに身体が弱くさせられ、思考は奪われ、心配になって医療機関(但し整形外科と歯科は除く)へ行くと益々不安にさせられ

あげくの果てに寿命を短くさせられるのでは、なんて見えることがあります。

まるで宮沢賢治の「注文の多い料理店」です。

本当の学びを知る人は、どんな職業に就こうとも何をしていても正しい分別ができる皆さんだと思います。