日本での武術普及は全国的に比較的長くコツコツと続き、良いことだと考えています。

しかしながら思うにとても大事な武学にずっと関心を持たずにいる人が多いために、進化が出来ずかなり長く停滞をしている印象を受けます。

始めてから10年ぐらいまでは「運動を楽しむ」という初期のうちはスポーツ感覚としてはまだ良いでしょう。

それからは、長くなればなるほど武学をないがしろにすれば今度は本質からはどんどんと遠ざかっていくことになると思います。

それは羅針盤を持たずに、思いつきで船旅をして目的地に辿り着かずにずっと漂流し続けるようなものです。

特に内面が重要です。

武術系であったなら、例えれば内面に虎を飼い、飼いならすことができずに主が食べられてしまうようなことです。

太極拳系であったなら、綿の中に針を蔵す、という言葉がありますが、意を理解できなければ 

見た目は優しそうで柔らかく見えていても内面の本質は本当にとがった針のようでトゲトゲしい陰湿な邪心の強いエゴ人間になってしまうようです。

導引や気功系であったなら行気、坐忘の意が解からなければ、

気が行くという言葉で意味・勘違いをしてしまい存在しない違ったエネルギーを信じてしまうようなことになったり、本当に我が誰かを忘れて何をしたいのか解からなくなってしまうようなものが多いようです。

日本は国語で古くから漢字文化にふれているからこそ雰囲気的に察することのできる良い面がありますが、

我々の学術としての分野を正しく理解していくためにはスポーツ、体育、養生、医療のしっかりとした分類と、

中国語、そして古代思想・哲学などの古文・古典による意味を知るための教養を身に付けるための勉学をしなければ、

本来はそうではないものをそう、として解釈してしまうような「悪しき風潮:実は素朴な勘違いから始まる」には多くの皆さんも気をつけて欲しいと感じています。