武術を13歳から始めて、満29年の夏です。
武術をやって良かったこと。つまりは長所。
記憶力が落ちない、というより むしろもっと冴えた感覚になった、ということ。
体型や体質が20代からあまり変わっていないということ。
むしろ年が経つごとに詳しくなるので世間一般のような身体不安はない、ということ。
もう一つは短所。
記憶力が良いから嫌な思い出も克明に記憶していること。
視力も聴力も良好で、触覚や気配を感じるのに敏感過ぎて、
かえってストレスになったり、心配をしてしまうこと。
責任感が強すぎて抱え込んでしまうこと。
時に鈍い人や優柔不断、またはKYを見て「無責任で気楽でいいよな」と
思ってしまうようなこと、さえあります。気付いたがゆえに「気付かぬフリ」もできない。
この世界に深く入ってしまったことで中国武術家の老師の多くの皆様と親密になることで、
日中間で何か問題が起こるごとに何らかの悪影響を受けてしまうこと。
双方の発展のために良かれと思ってやっていても、かえって状況が悪くなってしまうこともたくさんありました。
空海・密教美術展を拝観して、その後に国立博物館をじっくり見て縄文時代から弥生時代を見て、
奈良~平安時代、そして私の住む横浜の近くの鎌倉での幕府のあった時代を想い、考えてみました。
何ゆえに今迄の歴史において日本人が命を懸けてまでして海を渡って中国へ行ったのか。
私も何ゆえに中国へ学びに何度も行ったのか。
それは日本は時に乱世になるからだと思います。
その時平定できるのも個人としての武力の高さ、思想哲学の深さを、私の青年時では
日本では学べなかったので学びに大陸へ行きました。
元々、本来の日本人の性質は思いやりがあって優しいからこそ、だと思います。
しかし時代によってはその「性善さ」を悪用して偽装や偽善者たちが善良な人たちを騙したり、罠に嵌めこむ人間が様々な種類で多くなってきてしまい、
倫理道徳も廃れ、勝手気儘で愚かごとを乱発するようになり乱世となると思います。
その乱世で生き抜くには様々な「強さ」「賢さ」「優しさ」そして時には「非情さ」も重要になるのだと思います。
時には深い文化を学び、尊敬し愛着のある中国大陸。
また時代が変わっては 敵にもなってしまった相互の歴史的関係の複雑さ・・
そしてジレンマ(葛藤)
最近思ったのは、今までの日本では「出る杭は打たれる」と言われてきました。
つまりは良質な個性を妬んだり、伸びていく能力をつぶしたり、発展を邪魔したりする人達がとにかくたくさんいます。
それはその人たちは良質な個性を育てられなかったから、自身の能力が伸びなかったから、
発展する人たちが伸びていくのを気に食わずに考えて、邪魔や妨害をしてくる人間だということを証明していると思います。
あるいはよくある政財官の癒着など 一部の人間たちのみ良い思いをするように仕向け、
嫌な思いや搾取されるだけの関係などで、悔しさが積み重なり悔しくて何かへと八つ当たりになっていくようなこともあったのかも知れません。
今迄にたくさん見てきました。たくさんやられてきました。
身内でも足をひっぱり合い揉め事を起こす人間などもいました。
耐えるごとに、立て直すごとに静かな闘いの中で強くなれることを知りました。
そして記憶にありながらも許すこと、繰り返させない・繰り返さないことの重要さを学びました。
思えば時間は戻らないように、嫌な過去も戻ってはこないことに気付きました。過去にこだわらなくてもいい、と思ったのです。
中国的な人間関係を知りすぎたために、記憶をも武器にしながらも考える習慣が身についてしまっていることに気付きました。
ここは日本だ、確かに日本に来ている中国の人あるいは他の国の人もあろう。
当然、日本は永遠に日本人が幸福に生きて行くための国。
私は40歳を過ぎてから、気付くことがありました。
私と同世代、上の50代、そして60歳からの世代。これからの10年後は真の実力社会の到来が来ると思います。
クローンを量産して洗脳して、黒を白にしては数の力に打って出るような悪しき全体主義思想は、
これからは調べれば多くのストレートで素早い情報収集はしやすくなり、
日々に賢くなっていく日本社会ではもう何も通用しないし何の役には立たなくなっていきます。
誰にも邪魔されない、つぶされるようなこともない、
今までに負けなかったことは、これから大いに活きてきます。
注意が必要なのは、気付けなくなってしまうことや、
日本人が我が国、日本の美しい心や魂を自ずから失ったら終わります。
今は、新聞やテレビなどが人前に目につきやすい場所へ置く、不必要なもので不安を煽ったりしてくる精神的汚染を招くような風潮や雰囲気に決して負けず、誤魔化されず、
心の眼を見開き、心の耳で音声を聴き分け、
そういう邪まな者たちに勝手をさせないような風潮・雰囲気を大きくすることが大事だとも思います。
ふと自分が今年に悟ったのは、さり気なく日本に入り込んで来てその心や魂を失わせるような働きから守る・護ることが必要で、
もし自分が中学生ぐらいまでの日本しか知らないその他大勢といわれる中の当時の「普通の日本人」であったなら「今」のような自信や力は持っていなかっただろうと思います。
見た目は仮に良さそうに見えても、心の中の実質は邪悪な人間共を見抜き、悪さをすればすぐ様に懲らしめられる技をいつでも発揮できるように持ち、日本人でありながら日本人らしくなくなるようなことは戒める、
(現代日本社会での悪しき面を良くするため、長い面でみて より良い善良な結果をもたらす楽しさを持つものなら海外のもので取り入れることは大いに良いことだと思います)
いつまでも人を信じ、優しく、思いやりを大事にして嫌な思いでも耐えて辛抱する「和」を尊ぶ、善良な心の多くの日本人を守らねばならない、と思っています。
いつか基礎、基本は長き歴史のある中国武術の発展形で、後にこれが日本文化に自然体で融合・和合し日本武功、養生功法になっていくことを目指しています。
崇高なる「密教」のように・・
武術をやって良かったこと。つまりは長所。
記憶力が落ちない、というより むしろもっと冴えた感覚になった、ということ。
体型や体質が20代からあまり変わっていないということ。
むしろ年が経つごとに詳しくなるので世間一般のような身体不安はない、ということ。
もう一つは短所。
記憶力が良いから嫌な思い出も克明に記憶していること。
視力も聴力も良好で、触覚や気配を感じるのに敏感過ぎて、
かえってストレスになったり、心配をしてしまうこと。
責任感が強すぎて抱え込んでしまうこと。
時に鈍い人や優柔不断、またはKYを見て「無責任で気楽でいいよな」と
思ってしまうようなこと、さえあります。気付いたがゆえに「気付かぬフリ」もできない。
この世界に深く入ってしまったことで中国武術家の老師の多くの皆様と親密になることで、
日中間で何か問題が起こるごとに何らかの悪影響を受けてしまうこと。
双方の発展のために良かれと思ってやっていても、かえって状況が悪くなってしまうこともたくさんありました。
空海・密教美術展を拝観して、その後に国立博物館をじっくり見て縄文時代から弥生時代を見て、
奈良~平安時代、そして私の住む横浜の近くの鎌倉での幕府のあった時代を想い、考えてみました。
何ゆえに今迄の歴史において日本人が命を懸けてまでして海を渡って中国へ行ったのか。
私も何ゆえに中国へ学びに何度も行ったのか。
それは日本は時に乱世になるからだと思います。
その時平定できるのも個人としての武力の高さ、思想哲学の深さを、私の青年時では
日本では学べなかったので学びに大陸へ行きました。
元々、本来の日本人の性質は思いやりがあって優しいからこそ、だと思います。
しかし時代によってはその「性善さ」を悪用して偽装や偽善者たちが善良な人たちを騙したり、罠に嵌めこむ人間が様々な種類で多くなってきてしまい、
倫理道徳も廃れ、勝手気儘で愚かごとを乱発するようになり乱世となると思います。
その乱世で生き抜くには様々な「強さ」「賢さ」「優しさ」そして時には「非情さ」も重要になるのだと思います。
時には深い文化を学び、尊敬し愛着のある中国大陸。
また時代が変わっては 敵にもなってしまった相互の歴史的関係の複雑さ・・
そしてジレンマ(葛藤)
最近思ったのは、今までの日本では「出る杭は打たれる」と言われてきました。
つまりは良質な個性を妬んだり、伸びていく能力をつぶしたり、発展を邪魔したりする人達がとにかくたくさんいます。
それはその人たちは良質な個性を育てられなかったから、自身の能力が伸びなかったから、
発展する人たちが伸びていくのを気に食わずに考えて、邪魔や妨害をしてくる人間だということを証明していると思います。
あるいはよくある政財官の癒着など 一部の人間たちのみ良い思いをするように仕向け、
嫌な思いや搾取されるだけの関係などで、悔しさが積み重なり悔しくて何かへと八つ当たりになっていくようなこともあったのかも知れません。
今迄にたくさん見てきました。たくさんやられてきました。
身内でも足をひっぱり合い揉め事を起こす人間などもいました。
耐えるごとに、立て直すごとに静かな闘いの中で強くなれることを知りました。
そして記憶にありながらも許すこと、繰り返させない・繰り返さないことの重要さを学びました。
思えば時間は戻らないように、嫌な過去も戻ってはこないことに気付きました。過去にこだわらなくてもいい、と思ったのです。
中国的な人間関係を知りすぎたために、記憶をも武器にしながらも考える習慣が身についてしまっていることに気付きました。
ここは日本だ、確かに日本に来ている中国の人あるいは他の国の人もあろう。
当然、日本は永遠に日本人が幸福に生きて行くための国。
私は40歳を過ぎてから、気付くことがありました。
私と同世代、上の50代、そして60歳からの世代。これからの10年後は真の実力社会の到来が来ると思います。
クローンを量産して洗脳して、黒を白にしては数の力に打って出るような悪しき全体主義思想は、
これからは調べれば多くのストレートで素早い情報収集はしやすくなり、
日々に賢くなっていく日本社会ではもう何も通用しないし何の役には立たなくなっていきます。
誰にも邪魔されない、つぶされるようなこともない、
今までに負けなかったことは、これから大いに活きてきます。
注意が必要なのは、気付けなくなってしまうことや、
日本人が我が国、日本の美しい心や魂を自ずから失ったら終わります。
今は、新聞やテレビなどが人前に目につきやすい場所へ置く、不必要なもので不安を煽ったりしてくる精神的汚染を招くような風潮や雰囲気に決して負けず、誤魔化されず、
心の眼を見開き、心の耳で音声を聴き分け、
そういう邪まな者たちに勝手をさせないような風潮・雰囲気を大きくすることが大事だとも思います。
ふと自分が今年に悟ったのは、さり気なく日本に入り込んで来てその心や魂を失わせるような働きから守る・護ることが必要で、
もし自分が中学生ぐらいまでの日本しか知らないその他大勢といわれる中の当時の「普通の日本人」であったなら「今」のような自信や力は持っていなかっただろうと思います。
見た目は仮に良さそうに見えても、心の中の実質は邪悪な人間共を見抜き、悪さをすればすぐ様に懲らしめられる技をいつでも発揮できるように持ち、日本人でありながら日本人らしくなくなるようなことは戒める、
(現代日本社会での悪しき面を良くするため、長い面でみて より良い善良な結果をもたらす楽しさを持つものなら海外のもので取り入れることは大いに良いことだと思います)
いつまでも人を信じ、優しく、思いやりを大事にして嫌な思いでも耐えて辛抱する「和」を尊ぶ、善良な心の多くの日本人を守らねばならない、と思っています。
いつか基礎、基本は長き歴史のある中国武術の発展形で、後にこれが日本文化に自然体で融合・和合し日本武功、養生功法になっていくことを目指しています。
崇高なる「密教」のように・・