この状況を 当時に知っていた人は少ないと思います。

上海体育学院 競技体校 韋剣 第一位



北京 簡増蚊 第二位



日本では、2001年の春から 国際套路第二の武術規定套路を取り入れましたが、実は中国武術協会ではもう既に高い難度動作を入れる競技部門を導入して始めました。

2001年の広州で行われた中国の全国運動会では長拳は国際套路第二と規定難度競技の2つが行われていました。

当時は第二套路の普及のために行ったのと北京のエキシビジョン競技会でも行うか、どうかを提案されていた時でした。

その時の日本では規定套路で北京はエキシビジョン大会をやるみたいだよ、なんて言っているのが普通でした。

私は2002年の2月に上海体育学院に拠点を戻し、気功体操や導引術、そしてできたばかりの健身気功五禽戯を学んだり、長い知り合いの先生方からオフレコでいろいろとお話を聞きに行きました。

隔年で行われる上海国際武術博覧会の審判会議である先生に今大会のルール説明会の後で聞いたら「北京は高難度でやる、予選では規定をするかも知れないけどね、国際ルールも難度だ。早いうちに移行する、準備しておいた方がいいよ」

日本に戻り、当時の競技選手要員たちには「難度で行うみたいだ、目指すなら覚悟して練習していくしかないな」と伝え、

上海体育学院で、その難度をこなすための練習方法でトレーニングを開始しました。

その頃にはもう既にロシアやマレーシア、韓国、香港チームなどは上海で訓練を始めていました。

日本での競技会の会場では、天津の選手がエキシビジョンを行いに来日していました。そして会場で「署名活動で難度競技をやめさせよう」なんて無意味なことをやっているのを見ました。

ある知り合いに「難度でやるのはもう決まっている、こんなことする前に準備に入ったほうが良い」とアドバイスをしたら、「いや、この署名が多く集まれば規定で行けるようだよ」と答えてきました。

「そんなことはない、時間はあまりないんだぞ」と言ったら「相変わらずに考えすぎだね・・」と言ってきました。

「じゃあ、いい またね。後で解るよ。その時に後悔しないようにね」

私はもう駄目だな、と思い、この部門は将来性がなく長続きしないだろうということを見込み、高難度競技項目の活動はいち早くやめました。


日本の組織は、リーダーシップを押えた人間たちは専門知識がなく、間抜けで根拠のない呑気なのんびりやが多く。それゆえに後に大きなミスを招くことが多々あります。

私は、そういった人たちの組織とは一緒に事業はやりません。時間と労力と経済的な無駄が発生するのが嫌いだからです。

つまり、時間を大事に、人の努力と労苦がいいかたちで報われて、何らかのかたちで必ず「やって良かった!!」とみんなで実感できることを重視してやっています。

今は、2011年。結果はもう既に明らかに出ています。

実はまた中国武術界ではルール変更と、今後大きな主流になっていく新たな動きを始めています。そのことを先月に またいろいろと教えてもらいました。

今は、信頼できる仲間たちにしか伝えません。

何故なら、正しい情報をないがしろにするような人に教えても仕方がない、ということを学んだので、

素直で一緒に明るい未来を築ける人たち同士で、先に報われて どんどん発展をして行って そこで気付く人は「気付く」のがいいのでしょう。

実はもう、この秋と 来年に向けた準備に入っています。

来年の今頃はもう、また新たなステップを踏んでいることでしょう、楽しみです。