この大きな震災を経験し、その時の自分の起こした行動や体感を経て大きく確信したことがあります。

それは人間一人ひとりが持つ遺伝子の歴史的キャリアというものがある、ということです。


人は父から脳髄や骨髄の基になる髄精を得て、母から血肉を分けられる、と考えられています。

中でも父から受け継いだ髄の中には歴史的経験の記憶体験なども含まれていると思います。

その他生活習慣や思考、行動パターンなど無意識のうちに学び取るものです。

これを先天的遺伝を知ることと、後天的遺伝をも知ることができるようになると思うのです。


自身の父母以前の長い記憶なども含む感覚を知りたいと自発的な内面からの要望で系譜を調べたり、

新たな知識をも学ぶことを行うようになります。


人間に頭が良い悪いということはないと思います。すべては習慣と訓練です。


予め用意されたテキストから多くの単語を記憶して、アウトプットさせられる訓練を高度に受けた者が高度経済成長を経てから、

景気のアップダウンを繰り返し、

2008年秋まで続くバブル景気とも呼んだ流された風に乗り、都合よく損得勘定ばかりを覚え、

後天的訓練では精神的・肉体的にも自意識を向上させていくような自発的な思考をすることができず、

誰もが知る与えられた情報と自分が記憶した単語から言葉を選んで発して同調が大事で、

たとえ無理を感じたとして一先ずそれを「正しい」と自己納得あるいは説得して、

後は思い出すことの無い忘却の彼方へ押し流すだけの習慣を身に着けさせられてしまったようです。


我々の世代までこういった感覚を持つ人々は非常に多いと思います。


しかしそれも良い悪いではなく、

単に気付かぬうちにそういった訓練だけを受けさせられ続けたためなのです。


今回の震災でもこの同じようなことをマス・メディアに現れた人々を通じて

全世代的に強調されたのを感じました。


私の立場から見えたのは、

「考えられない自分」が恐くなり、「何をしたらいいのかわからない自分」に怖れ、

「将来の自分」を想像できないことに怯えているのを多くの人々に感じました。


人は本質的な面で言葉で同調して仮の安息を得ようとしても、それは得られず、

最終的にも安心感は得られません。

ですから、普段から有事を含めた多くの危機意識について考えておくことは

誰彼でなく人それぞれに大事だったのです(過ぎてから発覚して騒いでも腹いせにもならないものは多いです)


3月11日より遙か前から、ずっと何回も言い続けてきましたが、

思考することから逃げて来た習慣を持つ人々あるいは精神的に肉体的にも感覚能力を向上させられなかった人々は

有事が実際に起きてからというもの、人によってはその人自身の内面からの不安より出る行動や言葉が、

他の人への思いやりという単語を選んでいますが、相互に止められぬキャッチボールの応酬をさせてしまっています。

(それをも気付かない人もいます・・)

だから、深く思考しておくことは大事なのです。


私個人の感覚としては大まかですがもう一段落しました、

あとはこの一ヶ月間ぐらいでは知りたいことが自ずから表れてくるだろうと思います。


思うにこの私の精神的・肉体的感覚は私がそうしているのではなく、

私の先代からの「ある記憶」の遺伝子がそうさせているのを思いました。


遺伝子にも歴史的キャリアは必ずある、ということを実感しました。