こんな時間に目が覚めて、思ったことを書き込むのは初めてです。

夢の中でも考えて、起きている中でも当然考え続けていました。


マスメディアやそのコメンテーターたちもわざわざとりあげなくてもいいようなことを言ったりして、

暗くなりそうなところへと、

大勢を引きずり込むような行動・言動は無意識であったとしてもすぐに止めて欲しい(ただの無知まるだしで恥ずかしい)

先ほど夢の中で、いろんな自分が意見交換しあっていました。

そこでの答えが、今後、落ち着いた時がきてこそ 

類が友を呼び合って「復興」へお手伝いをするんだ、と。


はっきりいえば、ここ数日に間に思ったのは、

何も言わない、何もしない、何も勇気付けすらできなくて、

「これからの復興」にまったく意志表示しない、

そういう彼ら、政治家たちはもう要らない、経済界の人間たちも要らない。

普段リーダーとしての位置にいて、

一番大事な時に役立たずな人間たちは、所詮そんなもの。

後から「実はそう思っていた・・」なんていうのは最低だ、

あるいは何も考えのないただの気分屋さんの答えとして一致する。


マザーテレサの言葉。

愛の反対は何ですか。

憎悪、あるいは怒り・・

それらは「愛情」の表れがあるから違います。

それは「無関心」

ずっとこの間に「無関心」を決め込んできている人間たちこそを、指導してやらなければならない。


それがもしお偉いさんだったら!?

いい家に住んで、いいもの食べて、いいもの飲んで、贅沢三昧をしていて、

それは嗜好なのはそれでいい、

しかしそれらをずっと今までに享受していたなら、

仕事をやるべき時には個人の力をみせて実行してやってみろ、といいたい。


笑止、昔のサムライだったなら「そいつら悪代官たちをごっそりと叩っ斬ってこそ花」

しかし今なら認められないから、言論でメッセージを送ることしかできません。

自分ができることなら、被災地へ赴き無料講習会と練習会をやってあげたい。


車を持っていないので、電車が通じていれば行ってやりたい。

当然、自費。

しかし正直、今の貯金を全部使って、やってもいい。

しかし現地で迷惑をかけないためにも自分の食べるものと、寝る場所(寝袋の用意)滞在日数分の飲む水を持っていくのはどうなのだろうか。

現実に現実を考えて本当に実行するには、自ずから困難になりそうであるいは見知らぬ土地では迷惑になっていくことの方が多いように感じました。

それを何とはなしに良心のあるみんなは気づいている、

何気なく強要をされるような思いつきでの報道やコメントは止めて欲しい。振り回されるばかりである。


それに今や個人での問題もあるし、全体での問題もあります。

人それぞれに朝起きて、何をするか。それはそれぞれにある状況と環境があるものです。

それを憧れた美談や美学で言うのは止めて欲しい。

何も飾らないことが大事。

何かこれを機会に目立とう、とか 好かれようとか、私は善人ですよ、とかもうんざりします。

正直な感想の集積知をこの今現在も一緒に作りながら、悪い方へとはいかないように何とか工夫して、

とりあえず現状維持から優先順位をつけて、

そしてどうしたらこれからの復興のためにできる現実的行動と、そのお手伝いが大事です。


パフォーマンスは何ひとつ要らない。


先ずは近隣から、まだ余裕がありそうな、

建設会社はどんどんと什器を現地に送れるところはすぐ送る。

大病院はすぐに調査して医療が必要な人へ手当てをする。

不動産会社は、被害地に近い物件を無料で解放していく。

証券会社は投資先を求めるのではなくて、被災地に投資できるチャンスを考えること。

日本政府はこの業種の彼らに先に行動を起こせるようにはたらきかけて、動けるようにする。


ボランティアをやりたい人間は、今すぐに行っても仕事はプロがいるので邪魔にならないようにと、

これから1ヵ月後ぐらいには3Kの仕事がかなり必要になるのでそれが始まった時に行ってこそ求められるものです。


来月に強引に実行しようとする、統一地方選挙でも、

これをネタにして実際の震災が起きて数日間何もしていなくて、

急に当選を目論んでこれから「聞こえのいい言葉」を

ふりかざしてやっていくような人間たちには絶対投票するのを止めましょう。


日本人はコツコツ生きて成長していく樹木的力やお裾分けの隣人愛があってこそなのだ。

ハイエナやコバンザメのような存在は要りません。