今回の大地震ではリアルタイムで学ぶことが多いと感じています。

この日本列島でいつ誰であっても、被害者になる可能性はみんながあります。

だからこそ、誰であっても今回の経験から学び、これから次に生かしていくことのみです。

(自分は金曜日の出来事を書いたのは「こうやって考えて行動して過ごしました」という記憶を記録に残しておきました)


今回昨日までに実感したこと。

「有事」が起きた時は「その人の能力のすべて」が出る、ということが解りました。

ほとんどの多くは呆然としてその場で立ち尽くすか、座り込む人たちばかりでした。

判断は早ければ早いほどよい、群衆心理からくる浅はかな行動に巻き込まれるのが一番恐ろしい。


その判断力は自分の「眼」と「耳」が一番頼りになります。


その場、その時の的確で迅速な感覚から出た判断からの行動ができれば、

大人数が加わっても救われる可能性はあり、

恐怖感に捕らわれたままの心理状態の人同士で、場当たり的かつ思いつきでの認識からくる、

やってはいけない行動を気づかずにしてしまい、大勢がそれに従うと、

救われる可能性が低くなる、ということでした。


実は日頃の行動感覚がこういった有事には自分自身を含めた生死に影響を受けます。


今回の経験で今までになかったことで確認できたのは、

一番頼りにならない存在や行動もはっきり見えて、

ITでもいろいろと関連の確認が素早くできることはありがたいと思いました。


自分もこの大地震の影響を受けたひとりとして一つリアルタイムで解ったことは、

こういう国家的一大事がおきた時には、

すぐにありとあらゆる角度から調べること(時間が経つと解りにくくなることも多い)

本当に知るべき情報というのは2種類あって、

この瞬間から何をするべきかを瞬時に五感を通じて行動につなげるための情報。

そして国民をあげて行って欲しいのは、

これからの確認としてこの地震は自然発生的なのか、あるいは人為的な可能性があるのかの確認も今の時代、残念ながらやらなければいけないことです。

石原さんの昨日の発言には意味が込められていると瞬時に思いました。

使われた「単語」のニュアンスに感情的になるのではなく(相変わらず多くはここにひっかかっています・・パニック状態になっている日本人の大衆意識を知っているのだな、と思いました・・・これもある種の注意を惹きつけるテクニック)

とにかくこの日本人全体的に見て感じたのは、

同じようなことを何べんも大勢でああでもない、こうでもない、そうでもないと

いうことばかりを繰り返し語り合っているだけの人たちは本当の救済や救援には向かないです。

(単にただの野次馬なのだと自身で暴露するだけです)


有事の際のコミュニケーションには子供でもすぐにわかる短い「動詞」が必要で、

おしゃべりはとにかく無用、

冷静でいられるためには不必要な会話をする人たちから意識をそらす訓練、

リアルタイムで流れる一秒感覚を大事にすることだと知りました。