昨日今日は武術院の平日での活動日でした。
もっと平日での活動日や時間枠を多くして欲しい、という要望もあるのですが、
スポーツクラブでの指導もあって、本当は4月に予定していた道場がスタートできればいろいろと様々なバリエーションでやりたかったのですが、
また近いうちに準備をし直してやりたいと思いますのでよろしくお願い致します。
今日お伝えしたいことですが、武術で大事な感覚は「練功」という概念です。
「練習 演習 実行 プラクティス practice」という概念は
動作の反復を繰り返すことで得るものです。
そしてそれは「ないよりはまし」の概念でもあります。
これは「西洋スポーツ的概念」であり、比べられる誰かと優劣をつけるために
自分の立場が筋力アップやそれぞれの方面の技能・技巧面で優位に立つことが目的になる行動のことです。
ですから「スポーツマンシップ」というのも誤解が生じ易いです。
「スポーツ」というのは、そもそも裏工作もあり、勝つためには「何でもお互いにやってくるだろう」という前提があり、
その中で「互いが倫理道徳的にも守るべきルール」を作り、行うものです。
ですから互いが「元々クリーン」である、という前提なのではなくて、
「元々何か裏があるな・・」というところから、「これだけは守れ!!」
というところからスタートするものなのです。
中国武術・功夫カンフーで大事にしている概念や感覚は
「西洋スポーツ的概念がすべて」なのではありません。
「スポーツ的武術」は普及面やイメージアップの宣伝の面において十分にあっていいと思います。
しかし、それはあくまでほんの全体の中では一部分でしかないのです。
ここをはっきりしておきたいと思います。
最近思うにスポーツ的武術は一時期のマネーゲームで金を稼ぐような感覚で、
とにかく審判員をも味方に抱きこんででも点数を稼ぐための活動や練習が大事なように見えています。
(※日本でのスポーツ武術の普及はスタートの時点から既に違った方向へと動いていたのでこれからは置かれている状況は環境的にも発展は難しいことばかりになっていくでしょう・・今年から本場中国ではまたルール変更があります、おそらく昨年の香港で試行したルールだと予想しています、5月の上海ツアーでその辺りも確認しておきます)
武術は自分の一生涯を精神的・肉体的に健全に有意義に楽しく過ごすためにも、
誰でも時には自分自身にふりかかるような精神的・肉体的にも劣悪にさせられるような「存在」から心身を守り、
解放し、安らぎを得るためにも行う行動は「功:はたらき・わざ」が大事なのです。
ゆえに素人感覚から出てくる「悪しきマスメディア的挑発」
をしかけてくる無責任な「どの格闘技が最強か?」なんてものに、
感覚的に理解している中国武術関係者たちの多くが興味を持たないのはそのためです。
アメリカでは2000年頃から火がついて
10年が過ぎても益々中国武術が大人気なアメリカを見ていれば解ります。
アメリカではプロレスもマーシャルアーツ全般、そこから始まった何でもありのUFCなどを発端にした総合格闘技界でも、
実際は互いに大事な家族兄弟もあり、
何も知らない相手同士で金稼ぎのためだけにショーアップされて有名になれるといわれても、
最終的には自身の生命力ヒューマニズムまでそのために犠牲にしてまで闘うようなことは止めにしたい、と気づき始めたことの現れなのです。
長い歴史的にみて中国という国では戦闘の繰り返しできたのです。
日本も敗戦を喫してから66年めになりました。
戦争はとにかく遺恨を長い時間に残し、
多くの人々には生涯忘れられないほどの精神的屈辱や悔しさを相互に刻みこんでしまうのです。
そうしないためにも、「戦う・闘う」ことを回避するための努力が必要になります。
それは相手に侮蔑を受けないように、精神的・肉体的・攻防技術的にまでありとあらゆる面から「強くなること」で防衛できることです。
それを長くなるので一字で表せば「功:はたらき、わざ」です。
ですから日本ではカンフーと呼ばれた名前が定着しましたが漢字では「功夫」と表記します。
これは「はたらき、わざ」の結集した「時間」という意味もあります。
かつてのアメリカ社会もそうでしたが、
自分の大事な「時間」「労力」そして「お金」をもすべて費やしてかけてきたのに、それは時代からも組織からも、人からも裏切られることがありました。
残念ながら今の日本も戦後の政治経済を動かす組織がすべてをすべて真似て「会社」と「社会」を作ってきたようにほとんどがその感覚に支配されています。
これに気づいた人々は純真な心を常に持ち続け、行動はとても優秀なのですがその存在は少なくて、
その皆さんを評価するシステムがこの日本にはありませんでした。
これが「この国はおかしい」という答えです。
しかし今は時代が動き始めました。耐えてきた皆さんの評価が上がる時代が日本にもゆっくりやってくるでしょう。
しかしこの一年は日本も世界が動き出してきたように
「存在悪」を時間をかけてあぶり出すことをするようになるでしょう。
本格的な政治経済の発展はそれからになると思います。
(日本人の多くは全世代的全体に腰が重いのが普通ですから、時間がかかるのですね・・しかしこれもまた伝統・・しかしもっとアクションや意志表示が早ければ発展ももっと早くなるのにな、といつも思っています、そのためにも私は三年寝太郎概念を重視してもいます)
長くなりましたが(とにかく、良くも悪くも日本では詳細を繊細に語らないと、勘違いや誤解を生じ易いことがあるためです)
武術に大事な概念なのは「練功」「功:はたらき、わざ」を練りに練り、
長く心身を健全に保ち、
相互発展のために協力し合い、
相互共に誰もが幸福に楽しく生きていける社会環境を構築し継続して守っていくことにあるのです。
もっと平日での活動日や時間枠を多くして欲しい、という要望もあるのですが、
スポーツクラブでの指導もあって、本当は4月に予定していた道場がスタートできればいろいろと様々なバリエーションでやりたかったのですが、
また近いうちに準備をし直してやりたいと思いますのでよろしくお願い致します。
今日お伝えしたいことですが、武術で大事な感覚は「練功」という概念です。
「練習 演習 実行 プラクティス practice」という概念は
動作の反復を繰り返すことで得るものです。
そしてそれは「ないよりはまし」の概念でもあります。
これは「西洋スポーツ的概念」であり、比べられる誰かと優劣をつけるために
自分の立場が筋力アップやそれぞれの方面の技能・技巧面で優位に立つことが目的になる行動のことです。
ですから「スポーツマンシップ」というのも誤解が生じ易いです。
「スポーツ」というのは、そもそも裏工作もあり、勝つためには「何でもお互いにやってくるだろう」という前提があり、
その中で「互いが倫理道徳的にも守るべきルール」を作り、行うものです。
ですから互いが「元々クリーン」である、という前提なのではなくて、
「元々何か裏があるな・・」というところから、「これだけは守れ!!」
というところからスタートするものなのです。
中国武術・功夫カンフーで大事にしている概念や感覚は
「西洋スポーツ的概念がすべて」なのではありません。
「スポーツ的武術」は普及面やイメージアップの宣伝の面において十分にあっていいと思います。
しかし、それはあくまでほんの全体の中では一部分でしかないのです。
ここをはっきりしておきたいと思います。
最近思うにスポーツ的武術は一時期のマネーゲームで金を稼ぐような感覚で、
とにかく審判員をも味方に抱きこんででも点数を稼ぐための活動や練習が大事なように見えています。
(※日本でのスポーツ武術の普及はスタートの時点から既に違った方向へと動いていたのでこれからは置かれている状況は環境的にも発展は難しいことばかりになっていくでしょう・・今年から本場中国ではまたルール変更があります、おそらく昨年の香港で試行したルールだと予想しています、5月の上海ツアーでその辺りも確認しておきます)
武術は自分の一生涯を精神的・肉体的に健全に有意義に楽しく過ごすためにも、
誰でも時には自分自身にふりかかるような精神的・肉体的にも劣悪にさせられるような「存在」から心身を守り、
解放し、安らぎを得るためにも行う行動は「功:はたらき・わざ」が大事なのです。
ゆえに素人感覚から出てくる「悪しきマスメディア的挑発」
をしかけてくる無責任な「どの格闘技が最強か?」なんてものに、
感覚的に理解している中国武術関係者たちの多くが興味を持たないのはそのためです。
アメリカでは2000年頃から火がついて
10年が過ぎても益々中国武術が大人気なアメリカを見ていれば解ります。
アメリカではプロレスもマーシャルアーツ全般、そこから始まった何でもありのUFCなどを発端にした総合格闘技界でも、
実際は互いに大事な家族兄弟もあり、
何も知らない相手同士で金稼ぎのためだけにショーアップされて有名になれるといわれても、
最終的には自身の生命力ヒューマニズムまでそのために犠牲にしてまで闘うようなことは止めにしたい、と気づき始めたことの現れなのです。
長い歴史的にみて中国という国では戦闘の繰り返しできたのです。
日本も敗戦を喫してから66年めになりました。
戦争はとにかく遺恨を長い時間に残し、
多くの人々には生涯忘れられないほどの精神的屈辱や悔しさを相互に刻みこんでしまうのです。
そうしないためにも、「戦う・闘う」ことを回避するための努力が必要になります。
それは相手に侮蔑を受けないように、精神的・肉体的・攻防技術的にまでありとあらゆる面から「強くなること」で防衛できることです。
それを長くなるので一字で表せば「功:はたらき、わざ」です。
ですから日本ではカンフーと呼ばれた名前が定着しましたが漢字では「功夫」と表記します。
これは「はたらき、わざ」の結集した「時間」という意味もあります。
かつてのアメリカ社会もそうでしたが、
自分の大事な「時間」「労力」そして「お金」をもすべて費やしてかけてきたのに、それは時代からも組織からも、人からも裏切られることがありました。
残念ながら今の日本も戦後の政治経済を動かす組織がすべてをすべて真似て「会社」と「社会」を作ってきたようにほとんどがその感覚に支配されています。
これに気づいた人々は純真な心を常に持ち続け、行動はとても優秀なのですがその存在は少なくて、
その皆さんを評価するシステムがこの日本にはありませんでした。
これが「この国はおかしい」という答えです。
しかし今は時代が動き始めました。耐えてきた皆さんの評価が上がる時代が日本にもゆっくりやってくるでしょう。
しかしこの一年は日本も世界が動き出してきたように
「存在悪」を時間をかけてあぶり出すことをするようになるでしょう。
本格的な政治経済の発展はそれからになると思います。
(日本人の多くは全世代的全体に腰が重いのが普通ですから、時間がかかるのですね・・しかしこれもまた伝統・・しかしもっとアクションや意志表示が早ければ発展ももっと早くなるのにな、といつも思っています、そのためにも私は三年寝太郎概念を重視してもいます)
長くなりましたが(とにかく、良くも悪くも日本では詳細を繊細に語らないと、勘違いや誤解を生じ易いことがあるためです)
武術に大事な概念なのは「練功」「功:はたらき、わざ」を練りに練り、
長く心身を健全に保ち、
相互発展のために協力し合い、
相互共に誰もが幸福に楽しく生きていける社会環境を構築し継続して守っていくことにあるのです。