日本でいう「プロ」という言葉は「プロ野球選手」「プロレス」
「プロサッカー選手」最近は「プロ・ゴルファー」「プロ格闘家」
なんて単語がよく並びますが、実は様々で 何でもありの世界です。
その一時期だけの高給取りだけもてはやしては、人気が落ちたらサヨウナラ。
かつて騒がれた存在だったとしても、後に力が落ちて
人気もなくなれば、人知れずに引退した○○国でのオリンピック代表であっても、
プロ野球選手やプロサッカー選手、相撲取りなどは大体は後に自営業者に多くがなっていて、
コンビニ経営か居酒屋をしている人が、実は意外に多いのです・・
しかしながら、そんな現実の中でも、
当然私も「プロ」として、16年前から職業専門家として
「中国武術師範」兼「太極拳・気功講師あるいは五禽戯伝人」
という仕事で毎日を頑張っております。
プロフェッショナル【professional】
「名」専門家。本職。プロ。
「形」職業的、専門的であるさま。
「日本」でいう「プロ」とは、どういうことか。
それは「職業」として認められた組織社会の中で仕事をしていき、
その稼ぎから税務署に国家を運営する予算の一部として、
属する都道府県、市区町村での自治体へ自分の稼ぎから金銭を払うこと、という意味なのです。
(かつては茶の湯や日本舞踊などの稽古事 師範業ともいいます・・)
単にそれだけです。
日本という国は「ガラパゴス的」なのは世界中で知られており、
「グローバル:国際化」といっては「閉鎖的:内向き世界」
の国家的矛盾をも感じていない人々が多くあって、
そこが良い面と悪い面があるのは、知る人は知っていると思います。
(ここを許しているからこそ、大規模な革命やクーデターなどの血で血を洗うような
反乱事を起こさない国民気質があるというのは、ある意味では良い面ですね・・
しかしその表現をしてはいけない習慣・慣例から植え付けさせらてしまった内向性から、
ただひたすらに国家や身の周りのありとあらゆるすべてへ失望してしまい、しらけて自殺に走るような傾向になっていくことは改善したいです)
今の世界中で意外や意外、
本当に「中国武術」「功夫:カンフー」や
「太極拳」「気功」が盛り上がっていないのは「日本」だけなのです。
私の実際の知っている経験では、
一昨年からロシアにいた「ある家族」があり、
その家族全体で少林拳・カンフー系が大好きで学んでいて、ご主人の都合で日本へと住むことになり、やってきました。
聞くところによるとロシアでは国民的人気で、どの道場でも盛り上がっていて、
その人気はコマンドサンボ、テコンドーや空手、柔術をも超えているそうです。
実際、アメリカでも映画でもずっとその存在を大事に扱われていて、
大人気でレベルが高く、アジアでも韓国も台湾も香港でもフィリピンやタイなどの東南アジアでも大人気でした。
それは私自身も多くの国際大会の出場経験で知っています。
彼らは言いました「何で!!」
こんなに便利だし、美味しい食物もあって、家もきれい。
どうして「功夫:カンフー」がないの??
私は答えました。
「それが日本なんですよ」
日本の組織は官僚的なものが「影響力」を支配します。
それが「世界中で評価されていて良いというもの」に気づかずに選べないことはたくさんあります。
「本当に、優れていても、評価されないのは普通で、
全然、優れていなくても、乗せられて宣伝されて、
無知な人々たちに評価される世界ができているのはそのためです」
「無知」な人々を「有知:知識人」に変えるのは大変です。これは時間がかかります。
気長にいきましょう。
「これが、日本」
最近私は慣れました、それはその意味に従っていて良くも悪くもなりました。
よく「中国のプロ」という方がいますが、それは表記が違います。
社会科の勉強が足りな過ぎます(思考レベルが解ります)
私は最初に訪れた1985年から、ずっと今日までに25年間に途絶えることなく継続して交流活動を行ってきました。
元々は共産的社会主義からオリンピック招致に近づいた90年代後半、そして2001年に招致を決めてWTO加盟を果たしてから
所謂、共産主義圏から完全に脱出して資本主義経済になったのは、実はこの5~6年間です。
ですから基本的にはスポーツ運動における特別項目の地方公務員、あるいは国家代表なら、
その時期だけに国家公務員資格に昇格できたというだけです。
アメリカでは、すべてがすべてお金が評価の基準なので、
お金にならない人は廃業に追い込まれるだけで、
その闘争的競争で勝ち抜いた職業の人々の全員が、勝ち誇った高級感を見せ付ける姿、
それをアメリカ的「プロ意識」なのでしょう。
日本はアメリカでなく、でもアメリカ的な日本!?
北東アジア的立地のはずな日本!?日本的日本!?
すべてがすべて「曖昧な日本」の「我々の世界」
しかしこれも幸福なのでは!?とよく思います。
「プロサッカー選手」最近は「プロ・ゴルファー」「プロ格闘家」
なんて単語がよく並びますが、実は様々で 何でもありの世界です。
その一時期だけの高給取りだけもてはやしては、人気が落ちたらサヨウナラ。
かつて騒がれた存在だったとしても、後に力が落ちて
人気もなくなれば、人知れずに引退した○○国でのオリンピック代表であっても、
プロ野球選手やプロサッカー選手、相撲取りなどは大体は後に自営業者に多くがなっていて、
コンビニ経営か居酒屋をしている人が、実は意外に多いのです・・
しかしながら、そんな現実の中でも、
当然私も「プロ」として、16年前から職業専門家として
「中国武術師範」兼「太極拳・気功講師あるいは五禽戯伝人」
という仕事で毎日を頑張っております。
プロフェッショナル【professional】
「名」専門家。本職。プロ。
「形」職業的、専門的であるさま。
「日本」でいう「プロ」とは、どういうことか。
それは「職業」として認められた組織社会の中で仕事をしていき、
その稼ぎから税務署に国家を運営する予算の一部として、
属する都道府県、市区町村での自治体へ自分の稼ぎから金銭を払うこと、という意味なのです。
(かつては茶の湯や日本舞踊などの稽古事 師範業ともいいます・・)
単にそれだけです。
日本という国は「ガラパゴス的」なのは世界中で知られており、
「グローバル:国際化」といっては「閉鎖的:内向き世界」
の国家的矛盾をも感じていない人々が多くあって、
そこが良い面と悪い面があるのは、知る人は知っていると思います。
(ここを許しているからこそ、大規模な革命やクーデターなどの血で血を洗うような
反乱事を起こさない国民気質があるというのは、ある意味では良い面ですね・・
しかしその表現をしてはいけない習慣・慣例から植え付けさせらてしまった内向性から、
ただひたすらに国家や身の周りのありとあらゆるすべてへ失望してしまい、しらけて自殺に走るような傾向になっていくことは改善したいです)
今の世界中で意外や意外、
本当に「中国武術」「功夫:カンフー」や
「太極拳」「気功」が盛り上がっていないのは「日本」だけなのです。
私の実際の知っている経験では、
一昨年からロシアにいた「ある家族」があり、
その家族全体で少林拳・カンフー系が大好きで学んでいて、ご主人の都合で日本へと住むことになり、やってきました。
聞くところによるとロシアでは国民的人気で、どの道場でも盛り上がっていて、
その人気はコマンドサンボ、テコンドーや空手、柔術をも超えているそうです。
実際、アメリカでも映画でもずっとその存在を大事に扱われていて、
大人気でレベルが高く、アジアでも韓国も台湾も香港でもフィリピンやタイなどの東南アジアでも大人気でした。
それは私自身も多くの国際大会の出場経験で知っています。
彼らは言いました「何で!!」
こんなに便利だし、美味しい食物もあって、家もきれい。
どうして「功夫:カンフー」がないの??
私は答えました。
「それが日本なんですよ」
日本の組織は官僚的なものが「影響力」を支配します。
それが「世界中で評価されていて良いというもの」に気づかずに選べないことはたくさんあります。
「本当に、優れていても、評価されないのは普通で、
全然、優れていなくても、乗せられて宣伝されて、
無知な人々たちに評価される世界ができているのはそのためです」
「無知」な人々を「有知:知識人」に変えるのは大変です。これは時間がかかります。
気長にいきましょう。
「これが、日本」
最近私は慣れました、それはその意味に従っていて良くも悪くもなりました。
よく「中国のプロ」という方がいますが、それは表記が違います。
社会科の勉強が足りな過ぎます(思考レベルが解ります)
私は最初に訪れた1985年から、ずっと今日までに25年間に途絶えることなく継続して交流活動を行ってきました。
元々は共産的社会主義からオリンピック招致に近づいた90年代後半、そして2001年に招致を決めてWTO加盟を果たしてから
所謂、共産主義圏から完全に脱出して資本主義経済になったのは、実はこの5~6年間です。
ですから基本的にはスポーツ運動における特別項目の地方公務員、あるいは国家代表なら、
その時期だけに国家公務員資格に昇格できたというだけです。
アメリカでは、すべてがすべてお金が評価の基準なので、
お金にならない人は廃業に追い込まれるだけで、
その闘争的競争で勝ち抜いた職業の人々の全員が、勝ち誇った高級感を見せ付ける姿、
それをアメリカ的「プロ意識」なのでしょう。
日本はアメリカでなく、でもアメリカ的な日本!?
北東アジア的立地のはずな日本!?日本的日本!?
すべてがすべて「曖昧な日本」の「我々の世界」
しかしこれも幸福なのでは!?とよく思います。