自分は祖国日本が素晴らしいと感じています。

しかしそれは国家予算を動かす時の政府のことでなく、先人の築いて残してくれた文化、思想、哲学。

そして何よりも美しい気候風土です。

しかし、これらを守り大事にしなければならない時には自律的に自分たちで反省し直さねばならないことだと思うのです。


世界には生活していく水も足りないところも多く、物質的にも欠乏し、

治安も悪い、そんな中でも夢と希望を失わず生きている人たちがいっぱいいます。

今の日本はどうか。

水もあるし、物に溢れ返り、最近は治安は悪くなりつつあるが、まだ良い方です。

しかし残念ながら夢と希望を持てない人が多くなっています。


それは何故か。

良くするために真剣に考え続けて、

継続した努力を実行することをあきらめているから、そうなっていくのだと思います。

そうすると、人はどうなるか、

両極端な思考になると思います。


○○ダイエットと宣伝すれば、その○○が売り切れる。

一昨年はインフルエンザが大流行といえばマスクが売り切れる。

それはかつてのオイルショックでも同様。

メディアがこぞって○○がいい、といえば○○を持ち上げ、○○が駄目といえばすぐさま叩き落とす。

いつもその持ち上げて叩き落す相手を探し、不満のうさばらしの捌け口にでもしているようにみえる。


みんなで力を合わせようといえば「共産主義者」とかレッテルを貼り、

自分ひとりでも頑張る、といえば「自分勝手」とか「利己主義者」

自分のことしか考えていない、と言い始める。

これらの思考をさせているのは「誰」なのか。


両極端な思考はただの「無知」が表れているだけです。


自分たちが何をどうやっているのか、

それをしたらどうなるのか、がわかっていないことに気づいていない人が多いのです。

学問は自分から行っていくもの。

学校や塾でテキストを暗記して問題に回答していくのは、

とあるポジションにおける一つの選考のやり方に過ぎない。

「とあるポジション」なんて固執をしてもいずれはあってなきが如くのものも多いです。


それをやらされていくことを勉強というのなら、

それをしなくなった時点でさせられただけの勉強は終わりになる。


学問は毎日、これは何故か、と考えに考え、その問いを解決していく喜びがあるものです。

今のところ「学問」を続けている人は少ないようですが、必ず大きな成果を挙げていく人たちです。