中国武術、中国拳法、あるいは武術、国術、そしてカンフー・・

これらの中国武術運動には求められる要求が多いのは知られていると思います。


これはなぜか。


判り易くいえば、今や世界中にも多くの興味をもたれる皆さんの感じる

「格好いい」「やってみたい」「好き」という「概念」を記すと、


格闘的な「攻防技術」体育運動芸術的な「套路:型」

精神と肉体の健全さを得られる「健身効果」

「弱き(善行)を助け、強き(悪行)をくじく」

東洋武道精神の美学である「武徳」

この総合的な融合世界を直感にて理解できたことだと思います。


逆説的にいえば、

「これは違うな、武術、あるいはカンフーじゃない、おかしい」

と感ずるのは、これらのいずれかが欠けているから、感じるのだ といえます。


あるいは「これだ!いい!」と感じたのは、

これらがしっかりと結集している世界だから、といえると思うのです。


しかしながら、人はそれぞれに感覚的能力の得意、不得意もあると思いますし、

それぞれに思う「要不要」もあります。


私は誰にでもそれぞれに尊重しているのは

「全体と個々の違い」「対象の分別」そして「自分自身のライフワーク」 の在り方です。


そして重要視していることで大事なのは、

強要や強制、そして「洗脳」を絶対にしないこと、です。

(これは、ソフトとかプチ という感覚も駄目です)


つまりは人それぞれに毎日を頑張りながら

それぞれの人生の生き方の中で自発的な意識の中で自己実現のための「大成」を目指すことです。


そしてその評価とは自分や自分たち以外の圧倒的多数の自然的評価が決めることです。

それは必ず「正しい」と思います。

※つまりは「お約束的出来レース」や「談合」というものは

どんなにきれいにみせかけた組織的政治力を利用して使ったとしても、最終的に何ひとつうまくいくことはなく、

ただ残るものは、

時間の無駄、労力の無駄、経済的負担の無駄になるものが多く、結果として残るのは「虚しさ」なのでしょう・・・

未来は、必ず「因果応報」

原因と結果は、応じて報われる原則に則り出来ていきます。