香港の大会まで、ちょうど1ヶ月を切りました。

仕事の面では代行依頼を終えて、
武術院でも1ヶ月半後の演武交流会の下準備やプログラム構成も大まかに作成しました。


今度の日曜日は日本健康運動指導士会の講習会なので
理論研修や実技研修の内容の段取りをもすべて立てました。


昨日は一日ずっとトレーニングに充てて、今日は猛暑の中でしたが、
いい感じで「暑さ対策」での練習も楽しくできたと思います。


今日はふと思い出したことがあったので、綴ります。


それは「中国」という国との付き合い方でした。

「中国」という国家を知るにはいろいろとこれまでのプロセスを知らなければならないことをお話しします。

私は最初に中国へ足を踏み入れたのは今から25年前の1985年の春。

それから毎年、あるいは隔年になったとしても継続してずっと定期的に何回も繰り返し訪中して武術を学び、それだけでなく様々な文化や人間関係などの多くをも学んできました。

だからこそ、この25年間はずっと身近に、たくさんの良い事・悪い事の両面を見ながら今日まで来ていて、これからはもっといいかたちで仕事でも生かしていくことでもずっと続いていくでしょう。

これからの中国をよりよく知る為には政治経済の変遷を知らなければなりません。


ある有名な例をお話します。

それは1980年代後半 89年の春に起きた天安門事件から、いろいろあった1990年代。

そして2000年ミレニアム。

上海AIPEC WTO加盟、そして北京五輪開催決定を得た2001年。

そして今上海世界博覧会を行っている 9年間が過ぎて今現在の2010年まで。


国家指導者の鄧小平と江沢民、そして胡錦濤の三人の行動を表した例です。

道を見たら、二手に分かれています。右側は資本主義の道。左側は共産主義の道がありました。

三人の国家指導者はどのような行動を示したか。

先ず乗り物(政権)である「車」に乗り「指導」をしました。

鄧小平の乗った車は「右側・資本主義」にウィンカーを出しながらも「左側・共産主義」へと車を進めました。

次に江沢民の乗った車は「左側・共産主義」へとウィンカーを出しながらも「右側・資本主義」へと車を進めました。

現在の胡錦濤の乗った車はウィンカーを出さずに「右側・資本主義」へとスピードを上げて曲がっていきました・・


これらの実例では多くの人々を巻き込みました。

ゆえにYESの意味はNOであったり、NOの意味はYESであったりしました。

途中、私の経験では「あれ、これはYESなのにNOなんだね。
あるいは、NOなのにYESなんだね」「人間、これでいいのか?」

これを正直に大っぴらに語るのは「タブー」な時期もありました(ゆえに大きなとばっちりも食らいましたね・・)

現在の中国の富裕層たちは「このYESはNO NOはYES」の中で出世した人が多いです。


私は頑張って正直に「YESはYES NOはNO」これを貫いてきました。

これは良くも悪くもありました。


純潔な日本人の意識としては良かった決断だと今でも思っています。


これからを展望すると「この影響を受けた人々」は厄介な存在なのかも知れません(YESまたはNOを信じられない人々だからです)

それに40~50代は文化大革命、天安門事件を知る世代と10代~20代の自由奔放な世代とはとても大きなジェネレーションギャップがあります。

30代ぐらいが一番アメリカ寄りか、それ以外か、新たな感覚か 微妙な世代でもあります。


私は今40代ですが、大きな自信を今持っています。


それはこれからの日本や中国、韓国、台湾、まだまだ多くのアジア諸国、そして欧州、アメリカ・・

新たな文化交流をしていくのにも

イデオロギーに関わらずに「長期戦」でこれからもずっとやっていけることです。


先ずこれからの「10年間」を今までの研究を活かして、

古く悪しき体質の問題のある過去のイデオロギーに引きずられている組織機構の数々をゆっくりと

「彼ら」が受けてきた体質らしく、正しい意味で「粛清」「自然淘汰」をしていき、

21世紀型の我々が新しく豊かなライフワークを築いていきたいと思います。