今日は夏至も過ぎて、夏らしい暑さを感じた一日でした。

その中でも元気に頑張った皆様、お疲れ様でした!



今日は夜の武術院での練習後久しぶりに講じた(語る)時間がありました。

私は「講」という言葉を大事にしています。

(単なる思い付きからくる「おしゃべり」ではなく、

古えから 伝えられる深い意味と意義の延長上から その日、その時々、その人に必要だと直感で思ったことから講談することです)

何故なら、思い出すと尊敬する師である徐文忠先生の口癖が「我給你講」といつも指導してくださる私に言う時には仰いました。

楊承冰先生は「我給你説」と仰いました。

今から思えば、その「講」あるいは「説」とは先生が掴んでいる「秘籍」からの毎回お伝えしてくださる一部分のことでした。

そのこともあり、2007年~2009年に3回中国 安徽省 亳州市を訪れ 

伝統華侘五禽戯第57代目伝人 91歳になられる薫文煥先生に直接その実技と理論を学んだ時に、とても自然にスッと私の身体にそれらが入り染み込んだのでした。

少しずつの「一部分」を考え味わいながらもずっと絶え間なく実践を繰り返し 積み重ね、気付いた時には大きな「典籍」になっていること、だと思います。

積み重ねは「時間」の積み重ね、努力の積み重ね。


具体的には、

脳で感じて、神経を通って骨から感じた動かすべき筋と肌肉(筋肉、つまりはすべてのインナー&アウターマッスル)が反応して自分の思うような動きをしていく「力」の連続性。

つまりは労力のすべて、つまりは集中力、体力、そしてそれらの記憶力、行動力、実現力。

そしていつでも純粋な気持ちからおこる自発的な 反省~見直しから行っていく再構築、そして発展。

その努力の積み重ねのことを、所謂「功夫=カンフー」と表現したことがありました。


日本では「稽古」といいますが、全く同じです。

ウィキペディアより、

稽古(けいこ)とは、広く芸道に共通して使われる、主に練習を指す言葉である。

意味は、古(いにしへ)を稽(かむがへ)ること。同文の「照今」(今に照らす)とあわせ、「稽古照今」という熟語としても使用される。

日本武術などの形練習においては過去の達人であった先人の遣った理想的な形に近づべく修練することである。

武道、芸能に限らず、親方や師匠が教えることを、稽古をつけるという。また、単に学んだことを練習することも稽古という。

お稽古ごとというと、伝統芸能に限らずピアノ教室なども含まれる。

どれにおいても、稽古を積み研鑚を重ねることによって実力をつけていく。

リハーサルは、通し稽古の意味でも使われるが、こちらは芸道に限らず稽古とは言わない場合にも使われる。