最近いつも身近に携えている書物は正史三国志:魏書の東夷伝(魏志倭人伝)

そして我らが先代の遣隋使や遣唐使の偉業のことをよく想い考えています。


今の日本はどうか。


多くの人々は、自分の周りに対して 思いやりを行う精神的にも疲労からか肉体的にも余裕がないようです。

それが普通、それが現代社会。

それが今のメディアで日々話題になる「現代社会の日本人」の姿。


自分自身は幸福なのか、を思えば人それぞれでしょう。

私はどうか。

私は十二分に今は「幸福」だと思っています。

こんなに物資に恵まれ、世界は近くなり、情報はいつでもどこでも必要なものをたぐり寄せられる。

何でも得られる。

多くの人々は「何を」「どのくらい」求めているのだろうか。

きっとそれぞれに自分自身にもわからないほどの「幻想」に溺れているようにさえ見えます。

小学生の頃、狛江という町に住んでいて夏に多摩川を泳いで渡ったことがあります。

対岸は川崎市、中之島。

パンツ一丁で日焼けをしながら しばらく服を乾かして、そこから登戸まで歩いて、

水道橋を渡り 五本松を過ぎて 戻ってきたらもう日が暮れていました。


1986年の高校3年生の時。

夏休みを利用してに2回目の中国へいきました。

この時は安徽省体育運動技術学校の武術隊に1ヶ月短期留学をしました。

この時は鑑真号という船を使いました。

鑑真号は「鑑真和上」の通ってきた道を就航する船です。

(今また時間に余裕ができたら是非とも乗りたいと思うのです)

この2日間、「天平の甍」を見ていました。


とにかくいろいろと考えます。


「命懸け」

ここに思うのです。


確かに人生。誰でも赤ちゃんから老年と呼ばれるようになった方々までに「人それぞれ」に「誰でも」己の「命を懸けて」生きているはずです。

自分の経験で、川を渡るのも大変でした。


海を渡るのは生死を懸けた出来事があり、

更に学ぶことにも精神誠意を込め、そして帰国にも生死を懸けてきて、

我らが先代が日本の文化や文明を築いてきてくださいました。


今はどうか。


甘くないか、なめてないか。

思い上がっていないか。


「幸福」


多くの幸せ、そして多くの福をもたらす努力に対して「ないがしろ」にしてはいないか。


「君は何ができるのか」

そして。

「自分は何ができて実現出来て、どれくらいの人々を幸せになれるようなことが行えるのか」

そんなことをいつも、自分は問いかけている。