かつてはアメリカなどでは中国大陸での体育運動として発展させた武術を「武術:WUSHU」と呼んで、

文化大革命以前の台湾や香港などに伝わる古き良き技法の武功を「功夫:Gong-fu Kung-fu」と国や地域とに横たわる関連する政治問題の影響も受けて分けて考えていました。

(この意味がわからない人は世界史を勉強してください)


今現在は時代と共にまた変わって来たように思います。

台湾や香港、多くの華僑たちの住む東南アジアでもWUSHUがあちこちで行われるようになり、大陸でも「功夫:Gong-fu Kung-fu」を重視した動きが高まっています。

つまりは「WUSHU・Kung-fu」の融合が世界的に大きくなったと思います。

良い面もたくさんありますが、悪い面もたくさんでてきました。

悪い面というのは「何でもあり」になり過ぎて武術としての「基準」が運動的にも精神的にも曖昧で不明瞭にもなってしまったことです。

武術院の活動では昨年から「武術・功夫的アイデンティティ」をしっかりするようにしてきました。


それは今までには「何でも取り入れてきた」ところから、スマート化するために、将来的に不必要になるものは重視をしない、ということです。


これは全体と個の関係です。

全体的に大事なもの、中国武術の特徴である「攻防技術」「健身功法」「套路運動」の配分です。

「功夫:Gong-fu Kung-fu」としてのこの比率を全部を「5」としてから分けるとすると「2」「2」「1」である、ということです。

現在のスポーツ化し過ぎた「武術:WUSHU」は「1」「1」「3」になっています。
(散打は「3」「1」「1」)


「武術:WUSHU」から「功夫:Gong-fu Kung-fu」への原点回帰、と実現、

そしてそれが秋の演武会にと皆さんの「大脳活性化」と「心身の更なる活性化による強化」「想いと技の伝承」

そして「自己実現」の達成へと繋げていくのを目標にしています。

(それがどうした、という方々がいたら、これから5年ほど時間が過ぎてからの時の判断にもお任せします)


私は動物的勘を持っています、例えるならよくお話をする「沈む船には乗らない」のことです。


今日から蟷螂拳講習が始まりました、

様々な方に講師を担当してもらうことでより一層自身の技を再発見しながら、その「技」の素晴らしさを共に実感し合い、互いに発展していくのを目指しています。


今日は初日でとてもいい感じでした。


「長拳:大きく長く体を用いる拳」に

「短打:素早く短くダメージを与える突き蹴り」を加える武術的勉学になったと思います。

「四撃 八法 十二型」と呼び、総称して’二十四要’といい

「四撃」は、蹴る、打つ、投げる、掴む のことをいいます。


「八法」は、「手」「眼」「身体操作」「歩法:フットワーク」「精」「神」「気」「力」の配分法則のことです。

「十二型」は行ううちにその必要性から自然に体得ができるようになってきます。


後半は対練でその中で蹴る・打つ・掴むを実践して行えるので、

みんながみんな理解できるようになると最高だと感じています。


何であっても優れた伝統の技法は身につけることで生涯活かせる素晴らしい「芸」になります。


私の考えている中国武術の世界は「中国」という国を限定するのでなく、

中華街や中華料理的な意味における「中華」文化の良さをわけ隔てなく大事にしたいと思います。


日本では「武術」を政治的利用に走りすぎ、

そこからくる一部だけが得られる経済的な恩恵を期待して活動するような組織が多すぎるからこそ、これができないのを知っています。


それが実はカンフー映画ファンも含めた日本人全体での中国武術界の発展の足を引っ張っています。

自分は空想家ではなく、実践を大事にしています。


誰もできないこと、やらないことでも今現在の我々なら実現できると信じています。


今やっていることが、将来いつか日本における中国武術界の歴史的発展の第一歩を

みんなで一緒にこれから作っていく大きな一歩になれたらと思っています。


来週も皆さんと共に協力し合って頑張りたいと思います。

今日頑張った皆さん、お疲れ様でした!


今日の練習が用事などで来れなかった皆さんは木曜日は祝日でお休みなので

金曜日には復習を兼ねてやりますので、次の日曜日にも楽しく頑張りましょう!