今日は一日、地元のクラブでレッスンでした。

移動は自転車、のんびりとゆっくりいい仕事のできる土曜日は好きな日です。


今現在、この町では何回かテレビで武術活動(東京12チャンネル ドライブAGOGO!では今をときめく中川翔子さん、堂本剛さんとの正直しんどい、クイズ雑学王など)を紹介されたせいか、

ちょっとした有名人です、町の中心部に向かえば必ずといっていいほど誰かに出会います。


皆さんに声をかけられたりして挨拶を交わしながらもこの町に10年住んで

地域密着の活動がうまく行って 嬉しいな、とそんなところからも思います。


私は専門分野が仕事なので、仕事が大好きです。

自分の練習の不注意などでケガをすると大変なのですが、それでも好きです。


とても大事にしているのは多くの皆さんとコミュニケーションの中から教えてもらえることがたくさんあって、

そしてそれを皆さんにフィードバックする、そしてまた「気付き」として教えてもらえる。


ですから行き詰ることはありません。

実はこれは私がホテルマンとして20代は仕事をしてきた経験が生きているからだと思います(特にバーテンダーとしての仕事は今現在にすべて役立っています)

「人への気遣い」を仕事でもしていると大きな自分自身の成長に役立ちます。

お金をもらうために仕事で行動をするのではなく「良くすればもっと良くなる」

これを体で学んだからだと思います。

バーテンダーの仕事は好きでした(今でもバーカウンターでカクテルを作ったりしている夢の中で思い出すぐらいです)


私は武術をやるために会費や活動資金を賄うため(両親の方針は自分の好きなことにかかる金は自分で稼げ、といわれましたが、これは大変でしたが、後に思うとすべて正しいです)

に中学生の頃から

新聞配達の朝刊のアルバイトから始めてたくさんの仕事をしてきました(思い出せば、この他は高校生になってから行ったケンタッキーフライドチキン、時給は500円でした・・そしてお弁当屋さんと同時に新聞配達の夕刊配達、その後 柴崎にあった富士フィルムの現像所、太極拳協会の事務局、パンフレット配り、ガソリンスタンド、それからホテルマン)

思い出せば1985年の高校2年の時の4月、朝は新聞配達 学校へ行って授業 

帰ってきて夕刊配達 夜の7時からは武術の練習 

練習日のない日はお弁当屋さんでアルバイト・・

これを繰り返して腹膜炎を起こして体を壊し5月に手術して1ヶ月入院をしました・・


このために3月で上海体育学院で学び、トレーニングしていて 

大いに期待して臨んでいたのですが第2回の全日本に出場ができませんでした。


翌年は復活、安徽省武術隊に短期留学して本場の選手たちと同じ内容でハードトレーニングをこなし第3回大会は初の決勝進出を決めました(しかし決勝はラインアウトで大減点・・)

とにかく無茶苦茶でしたが「純粋な想い」で来た分、今でも自分ながら面白いです。

私の経験からすると、

23歳になった時点でアルバイトもしたことのない、仕送りでやってきた大学生が職場に出た時に 自分の経験では同じ年でも既に10年の差がある人間とは仕事人として大きな差を実感しました。

(結果的に自分から仕事ができなくて稼げない人間は経験の無さからも求められなかったのだ、ということもあります、今年就職ができなかった人はただ世の中を憂うのではなく、よくよく自分ができることを考えてこれからの行動に活かしましょう)


とにかく 自分らしく生きていく、のは大事です。「後悔」はない、からです。


「反省」はたくさんあります・・成長していくために。

人はよく「あの頃に帰りたい・・」なんて言うのを聞きます。

それは私にはない。何故か、常にベストを尽くしてきたから。


やることをやったら、過去に未練はありません。

ただ楽しみとして いつも未来への自分の希望と、多くの皆さんに役立てるような成長と進歩しか考えていません。

いつだって自分(今は自分たち)への「未来への希望と期待」

これが自分らしさの「すべて」です。