ここ数ヶ月、木曜日の武術院の活動がだんだんと質の高い練習になっていて嬉しく思います。

自分はいつも全体の流れを読んで日に日に調節しながら、

その時に相応しい 皆さんの求めているものと、自分が伝えたいもの、と

リンクできるようにすすめています。


木曜日の前半は健身気功・五禽戯の練習。

後半は伝統華侘五禽戯13式と毎週一つずつ虎戯、鹿戯、熊戯、猿戯、鳥戯、

とテーマを絞って行っています。

2時間はあっという間で、間に伝統拳術を身につけた方々はひたすら打ち込んで練習し、最近はじめた八極拳や形意拳の基礎練習をみながらすすめています。

だんだんと熱心な皆さんの表情には大きくなってくる「明るさ」を感じます。

特にそれは練習後に現れる「笑顔」に思います。


今日は自分の行った講義の中で、今の「日本」では、

長い歴史のある「亜細亜:アジア文化」を整理・理解できるほどの基準を持っている人も少なくなりました。


現在の日本での所謂「文化」はアジア的でもなくなりつつありますが、しかし完全に欧米的でもなく、

文化意識が中途半端な混迷の中で彷徨っているのを思います。


例えば「笑い」の文化。


心身共に心地よくなれれば、誰でも自然に笑顔はこぼれます。

その「笑顔」はその人の努力によってできる「爽快」からくることが「笑」の原点だと思っています。

東洋での「笑い」の文化は誰でも「共感」できるところから、学び・気付いていくことが「芸」でもありました。


思ったことに、最近は「不自然」でも極端さで可笑しくあればいいと、いう感覚をテレビなどでは競っているようですが、

あげくの果てには「何でもあり」になっていき、「嘲笑」や「攻撃」の方法としてすすみ、

結果的には、「笑い」を利用した 将来的には不可解な人々の行動における方向性の「恐さ」を思います。

本来、人々の「笑い」は人々の「喜び」の心と繋がっていなければならない、と思います。

「何」が「何」なのかを考える、いい機会でもあります。