足が痛むと、いつもの倍以上の精神力を要します。

今日も午前・午後となんとか頑張りました。

体調が悪くてもやらなければならない時。

いろいろと事情はあります。


こういう時はやっぱりさすがに精神的にも影響を受けるものですね。

人によっては、例えば日曜日の午前にだけ来る人は「何故怪我するの」と想われるような事があります。

当然、その曜日のその時間のみにだけやっていれば 何があっても傷めることはありません。

毎週の毎日、朝~晩まで 人それぞれのニーズに合わせて中国武術、太極拳と気功とやっております。

(私のオリジナルの導引術からアレンジした「気功」のプログラムはフィットネスでは

新しいモデルを2002年から創始したのですが

インストラクター初心者たちの向けの挑戦プログラムとしたので、私は太極拳中級~上級のみの担当になり、結果としてはハードになるばかりです)

私は個人的に「当たり前」はない、といつも思っています。

怪我をすればわかります、いつもこの可能性が身近にあって 

常に注意をしていても、隙があったり集中力が高まらなかったり、

慢性的な疲労がたまりに溜まって「あるきっかけ」で痛みに転化するものです。


その痛みが生じても次の日の別のプログラムでは、当然の如くこなさなければならない、そんな宿命の毎日です。

健全が「当たり前」と思うことはありません・・


最近の日本人は、余裕がなく「消費者様様パワー」があるようです。

「なんでも、自己都合にいいのは、当たり前・・」

「気に入らないと「クレーム」をバンバンとつけまくる・・」

私はこれが嫌いです。


私の武術活動は、今までに考えてきてこの活動をしています。

中国武術をやってみたいけれど会費が高い、近くに練習場がない、

自分のペースでやりたい、厳しくしごかれるので辛いのはダメ。


これらを自分が思ったときに、

そういった負担を減らして 多くの皆さんに、

自分が身につけたものを感じてもらいたい、

こういうスタンスで始めました。


中には熱心で遠くから来て下さる方もいますし、

いつも真剣なまなざしを向けてくれて時間をすべて大事に打ち込んでいる方々も多くいます。


とても嬉しく思います。


しかし、今までもそうでしたが、

これでも不満やクレームをこぼす人も環境に慣れると「当たり前」だと思うのか言う人は出てきます。


こういう時は考えます、個人的には、そう感じてしまった人は 

それなりの何かを持っているのかも知れないので傍観するようにしています。


何も進展がなければ、それはこの日本の世界によくある「思い上がった人」と判断しています。

今までの活動はほぼボランティアです、最近考えるのにボランティアの問題も大きく見えてもきました。

将来的には、より「武術」が上達してもらうべくふさわしい人と、

「当たり前」な空気で真剣さに乏しい人とは分けるべきだろうとも考えています。


何でもよくある「当たり前」な人って、

理性ある立場で分析して 教育するのって大変だと思います。

思うに、世間に嫌な空気をちりばめる元凶はこういう性分の人たちではないか、と感じています。