今から20年前の1990年に中国武術競技(国際第一規定套路)はアジア大会へ採用されました(残念ですが今年の中国広州アジア大会が項目としては最後の大会になるそうです)
当時、私は今現在では武術院の顧問をしてくださっているオランダの渡辺成人さんと共に北京アジア大会武術競技での指定強化選手に選ばれがんばっていました。
その時の愛知県代表で南拳の選手で後に伝統拳術の名将の訃報を今朝知りました。
思い出起こせば 1987年に知り合い、団体の枠を超えて自由にボーダレスで武術の技術交流の活動をしました。
初めて会った時はまだ高校生で無鉄砲で生意気な年下の私にも優しく接してくださいました。
当時は全国で最強を誇った全日本太極拳協会の武術隊の合宿では日中武術交流協会の精鋭の大久保克さんとも一緒に練習をしました。
筋肉隆々のがっちりした身体をしていて、初めは空手をやっていたそうですが中国武術に転向され長拳から広東南拳、規定套路の南拳、そして八卦掌や少林武術へといつも限りない可能性にチャレンジされていました。
当時の全日本大会では所属チームに関係なく周りの皆さんをいつも励まし応援し合い 成績に関係なく 誰もが互いに讃え合えることのできる素晴らしい人たちが作った大会でした。
この時の武術界はとてもいい時代だったと思います。
特に彼は人一倍に自分のことよりもみんなの為にいつも気を遣ってくださる方でした。
本当に真面目でいつも礼儀正しく、誰にも優しい方でした。
私は母が愛知県一宮市の出身だったので小学生の夏休みはいつも一宮の実家で一ヶ月ほど過ごしていて愛知県はとても身近だったのです。
名古屋に帰られる前には送別会と称しては馴染みだった新宿のジンギスカンとビール食べ飲み放題の店でどんちゃん騒ぎをしたのもいい思い出です。あの頃は本当に僕らの中国武術を通した「青春」の全てが輝いていました。
思い出すと今自分が様々な方にも失礼のないように接したりするのも影響を受けていたのだと思います。
昨年は久しぶりに武術太極拳の全日本大会へ観戦に行きました、遠くから少林牧羊鞭(彦龍鞭)を頑張っている姿を拝見しましたがお話できる機会がありませんでした(今から思うと本当に残念)
時間が過ぎてゆくというのを感じました。
人の魂は、この世での役割りを果たせば天に昇り 輝く星の一つとなっていつも見守って下さると思います。
今週は自分の誕生日もあり、皆様がいろいろとお気を遣ってくださりありがとうございました。
私は一年で一番寒い大寒の頃に生まれた宿命というのを子供の頃から知っています。
この時候は自分の生まれ日なのだけれども、望まない残念な便りも出てくる時期でもあります(私の父の命日が24日のこともあります)
昨年は太極拳の仲間と陳式太極拳では大先輩である関西の高名な太極拳家も逝去されました。
こうしたことから、自分はいつも誰であっても人間の生命がどうなったら活き活きと活動できるような術や方法を考えながら現代にどうしたら良いかを真剣に研究しています。
いつの日からか、いつも自分の誕生日の頃には その生命力の尊さを考え、自分が今「生きている」ことへの感謝を思います。
自分がこの10年近く養生の道に歩んだのもそのことが実はあります。
人は今生きていること故に貴い。
それだけで「不幸」ではない、と知らなければならないと思うのです。
実は毎日は 去り行く命もあるし、また新たに生まれてくる尊い命もあり、私達はいつもその繰り返しの時空の中に生きています。
自分の生命の火を燃やせるだけに燃やし、去らねばならなかった志を受け継ぎ努力を生きる限り永遠に怠らないこと。
夜空を見上げれば満点の星たち、それは多くの方々の昇天された魂の光の輝きです。
その輝きに恥ずかしくないように心を引き締めてこれからも空の上から皆さんが微笑んでくださるように努力していきます。
ご冥福を心からお祈り致します、本当にありがとうございました。
当時、私は今現在では武術院の顧問をしてくださっているオランダの渡辺成人さんと共に北京アジア大会武術競技での指定強化選手に選ばれがんばっていました。
その時の愛知県代表で南拳の選手で後に伝統拳術の名将の訃報を今朝知りました。
思い出起こせば 1987年に知り合い、団体の枠を超えて自由にボーダレスで武術の技術交流の活動をしました。
初めて会った時はまだ高校生で無鉄砲で生意気な年下の私にも優しく接してくださいました。
当時は全国で最強を誇った全日本太極拳協会の武術隊の合宿では日中武術交流協会の精鋭の大久保克さんとも一緒に練習をしました。
筋肉隆々のがっちりした身体をしていて、初めは空手をやっていたそうですが中国武術に転向され長拳から広東南拳、規定套路の南拳、そして八卦掌や少林武術へといつも限りない可能性にチャレンジされていました。
当時の全日本大会では所属チームに関係なく周りの皆さんをいつも励まし応援し合い 成績に関係なく 誰もが互いに讃え合えることのできる素晴らしい人たちが作った大会でした。
この時の武術界はとてもいい時代だったと思います。
特に彼は人一倍に自分のことよりもみんなの為にいつも気を遣ってくださる方でした。
本当に真面目でいつも礼儀正しく、誰にも優しい方でした。
私は母が愛知県一宮市の出身だったので小学生の夏休みはいつも一宮の実家で一ヶ月ほど過ごしていて愛知県はとても身近だったのです。
名古屋に帰られる前には送別会と称しては馴染みだった新宿のジンギスカンとビール食べ飲み放題の店でどんちゃん騒ぎをしたのもいい思い出です。あの頃は本当に僕らの中国武術を通した「青春」の全てが輝いていました。
思い出すと今自分が様々な方にも失礼のないように接したりするのも影響を受けていたのだと思います。
昨年は久しぶりに武術太極拳の全日本大会へ観戦に行きました、遠くから少林牧羊鞭(彦龍鞭)を頑張っている姿を拝見しましたがお話できる機会がありませんでした(今から思うと本当に残念)
時間が過ぎてゆくというのを感じました。
人の魂は、この世での役割りを果たせば天に昇り 輝く星の一つとなっていつも見守って下さると思います。
今週は自分の誕生日もあり、皆様がいろいろとお気を遣ってくださりありがとうございました。
私は一年で一番寒い大寒の頃に生まれた宿命というのを子供の頃から知っています。
この時候は自分の生まれ日なのだけれども、望まない残念な便りも出てくる時期でもあります(私の父の命日が24日のこともあります)
昨年は太極拳の仲間と陳式太極拳では大先輩である関西の高名な太極拳家も逝去されました。
こうしたことから、自分はいつも誰であっても人間の生命がどうなったら活き活きと活動できるような術や方法を考えながら現代にどうしたら良いかを真剣に研究しています。
いつの日からか、いつも自分の誕生日の頃には その生命力の尊さを考え、自分が今「生きている」ことへの感謝を思います。
自分がこの10年近く養生の道に歩んだのもそのことが実はあります。
人は今生きていること故に貴い。
それだけで「不幸」ではない、と知らなければならないと思うのです。
実は毎日は 去り行く命もあるし、また新たに生まれてくる尊い命もあり、私達はいつもその繰り返しの時空の中に生きています。
自分の生命の火を燃やせるだけに燃やし、去らねばならなかった志を受け継ぎ努力を生きる限り永遠に怠らないこと。
夜空を見上げれば満点の星たち、それは多くの方々の昇天された魂の光の輝きです。
その輝きに恥ずかしくないように心を引き締めてこれからも空の上から皆さんが微笑んでくださるように努力していきます。
ご冥福を心からお祈り致します、本当にありがとうございました。