時々、何気ないところで ふと「気付く」ことがあります。

日本における中国武術の世界は映画のタイトルなどから有名となった

「カンフー」という名のジャンル(コピーライターは成功しましたね)

そして様々な「長拳や南拳を含む伝統系拳術」「太極拳」「気功」などと分野がいろいろと

カテゴリーから先に考えられて、別れてしまい、

それぞれに融合や分別などの理解をすることができなくて、

それぞれに「専門意識」が中途半端に偏っているようなこともあり

相互間に受け入れられず流派別れをするばかりでまとまらなくて、

そのことから世間へは全体的に解り難い世界になってしまい残念に思う時がよくあります。


運動方法には「アクション・パフォーマンス」「競技」

「ライフワーク:身体感覚の向上」「格闘技術・方法」と分類ができます。


ここで一番大切なのは その方法を理解できた上でバランスがとれていることです。


やり方には人の生き方それぞれと同じであり、

それぞれへの敬意・尊重の心持ちを大事にしたいと思います。


しかし時々ふれておきたいのは、

人は誰でもその人の持つ「思考」や「言動」「行動」などが外観へも顕著に現れます。

よく直感として精神面での「不自然さ」「不健全さ」を思わず感じてしまうものには

言及しておきたいと思います(意図的な芸人ギャグなら、許してもいいかな、と思うことはあります)

それは「何故か」を考えてみると、

おそらく自己流の世界によくある負の側面での「自我の確立」「運動方法の実践」ができていないから

何か「格付け」をしようと画策する上で思い込みや空想が先走ってしまい、

神秘性をまとったりする格好や言動をしてみたり、

やり方としては洗脳:都合よい理屈で丸め込もうとして それが他に悟られまいとする行動が

かえって逆効果になっていたりするのだろうと思うのです(最近テレビ番組ではそれをからかって扱っていたりします)


人間は誰でも、生まれながらに備わった機能は同じです。

その機能とは、より視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚(口術感覚をも含む)の五感と運動機能が磨かれ、

本能的な直感=脳のはたらきが鋭くなるからこそ「防衛意識」からくる体力強化や武芸の技が

時間が経つと共に向上できること、だと思います、故に「引退」という文字は私にはありません。


その方法には当然、長い時間をかけて構築された深い哲学や理論が備わり、

そして技能にも通じて昇華されているものでなければなりません。


すべては「思考」と「実践」であり、

自然の摂理に従いずっと長く続けられるためにも哲学や理論ができたのです




追伸:

念のため 記しておきたいのは「専門家」と「オタク」は別世界で、

「専門家」とは正しい知識を持っている(増やし続けている)からこそ、

多くの方々へ役立てられる知恵と工夫が出来、それを伝達することで喜ばれたり、

自分自身で行えば身体感覚と精神力の向上を日々実感できるものです。


「オタク」とは「自分の空想世界」が中心であり

「一部」の共感者の中だけでその「楽しみ」などが通じるものだと思います。