老子第五十六章 知者不言 言者不知 知る者は言わず、言う者は知らず。
老子の道徳経にある有名な言葉です。
しかし「老子」という存在を理解せずに、所謂「言葉の独り歩き」
あるいはよくある勘違いによる解釈の誤ちが広まったことに残念に感じます。
安徽省亳州市は中国の誇る偉大なる4人の人物を輩出しました。
一人は老子。そしてその「道」の概念を更に発展させた荘子。
後漢(東漢)の時代に汚職と腐敗した儒教国家になってしまった
「漢」王朝の改革に立ち上がった魏国の武帝曹操と
その専属医師でもあった神医と呼ばれ五禽戯を編み出した華侘です。
私はこの亳州を3回訪れ、たくさんのことを肌で学びました。
ゆえに私の思想・哲学の根幹は「道家思想」にあります。
私の個人的な意見は孔子の思想を神格化させた「儒教」は
無学な者や10代の子供たちへの教養としては有益ですが、
学問的立場ではその性質ゆえに上から下への怠慢意識を生み出し
「乱世」の原因になることは長い歴史から知ることができます。
老子の記した言葉。
「知る者は言わず、言う者は知らず」
部屋の中での暗記しか知らない世間知らずの学者や
心得違いの教師たちは多くが間違った解釈をしているようです。
「知っている人は話すことはない、話す人は知らないから言う」
という安易な解釈を知ったかぶりで広めてしまう、日本でよくある情けない事象を思います。
中国人はよく話し、よく議論をたくさんするのです。
深く考えたことをぶつけ合いながら互いに掘り下げ、そして「哲学」として昇華させてきたのです。
「知っている人は話すことはない、話す人は知らないから言う」
これでは身勝手なオタク的な妄像世界の中での知識を得てはむっつりと人の世を観察しては
心の中で「嘲笑」しては身勝手な思い上がり精神を築くだけになり、
知らない人は言う、言えば「この人は身の程知らずだな」と見下すような発想になるようです。
両方とも結果的には世の中に役立たず、独りよがりな誤った自称的学識人に陥るだけです。
(今までにも数人の知り合いにも そのことゆえに不幸になっていく該当者を見てきています)
老子は誰であっても素朴な感性を大事にしたのです。
つまりは「知る者は言わず、言う者は知らず」とは、
「知る者は言うべき時期と言葉を知り、言うべきは言い、言わない方がよい時は言わぬ」ことであり、
「言わなくてもよい時に言うのは愚かであり、身の程知らずである」ということです。
世間には思い上がった自称知識人たちが、言わなくともよい時に無能な言論を働きかけ、
言うべきに言わない、臆病者を量産してしまった現在を思います。
老子の道徳経にある有名な言葉です。
しかし「老子」という存在を理解せずに、所謂「言葉の独り歩き」
あるいはよくある勘違いによる解釈の誤ちが広まったことに残念に感じます。
安徽省亳州市は中国の誇る偉大なる4人の人物を輩出しました。
一人は老子。そしてその「道」の概念を更に発展させた荘子。
後漢(東漢)の時代に汚職と腐敗した儒教国家になってしまった
「漢」王朝の改革に立ち上がった魏国の武帝曹操と
その専属医師でもあった神医と呼ばれ五禽戯を編み出した華侘です。
私はこの亳州を3回訪れ、たくさんのことを肌で学びました。
ゆえに私の思想・哲学の根幹は「道家思想」にあります。
私の個人的な意見は孔子の思想を神格化させた「儒教」は
無学な者や10代の子供たちへの教養としては有益ですが、
学問的立場ではその性質ゆえに上から下への怠慢意識を生み出し
「乱世」の原因になることは長い歴史から知ることができます。
老子の記した言葉。
「知る者は言わず、言う者は知らず」
部屋の中での暗記しか知らない世間知らずの学者や
心得違いの教師たちは多くが間違った解釈をしているようです。
「知っている人は話すことはない、話す人は知らないから言う」
という安易な解釈を知ったかぶりで広めてしまう、日本でよくある情けない事象を思います。
中国人はよく話し、よく議論をたくさんするのです。
深く考えたことをぶつけ合いながら互いに掘り下げ、そして「哲学」として昇華させてきたのです。
「知っている人は話すことはない、話す人は知らないから言う」
これでは身勝手なオタク的な妄像世界の中での知識を得てはむっつりと人の世を観察しては
心の中で「嘲笑」しては身勝手な思い上がり精神を築くだけになり、
知らない人は言う、言えば「この人は身の程知らずだな」と見下すような発想になるようです。
両方とも結果的には世の中に役立たず、独りよがりな誤った自称的学識人に陥るだけです。
(今までにも数人の知り合いにも そのことゆえに不幸になっていく該当者を見てきています)
老子は誰であっても素朴な感性を大事にしたのです。
つまりは「知る者は言わず、言う者は知らず」とは、
「知る者は言うべき時期と言葉を知り、言うべきは言い、言わない方がよい時は言わぬ」ことであり、
「言わなくてもよい時に言うのは愚かであり、身の程知らずである」ということです。
世間には思い上がった自称知識人たちが、言わなくともよい時に無能な言論を働きかけ、
言うべきに言わない、臆病者を量産してしまった現在を思います。