私は毎日、太極拳、導引術などの運動としての動気功、五禽戯、

武術と指導する仕事兼ボランティア兼ライフワークを送っています。


ここに来るまではたくさんの仕事も兼任しましたし、いろいろな経験を積むことができました。

今や意外なのですが毎日、スポーツクラブでは定年退職をされた方々の多くと接しています。

20年前には、私が20歳で、40歳の方が団塊の世代、

30歳代が「しらけ世代」といわれているそうです。

ちなみに私の世代は「新人類」と分類されるそうです。

(こういった分類は該当しない方々も多いのですが影響を受けた風潮や傾向としての基準をおいて、

分類としてみるには参考になるものです)


思い出すと20年前の職場だと、

上司で責任者が団塊の世代、先輩がしらけ世代ということですが、確かにその通りだと思います。


私は世代的な影響を受けるのが好きでなく、自分が尊敬する人の道を研究し、実践してきました。

ですから「長いものには巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」というのは嫌いでした。


どちらかといえば

「巻かれることなく真っ直ぐに生きて」「登るならば大きな山」という信念でやってきました。

それを「新人類」とか呼ばれたとしても私は構いませんでした。

それを何かにつけ「主流と異なる」というだけで、不快な思いをさせられたり、

求めてはいない「不安をあおる言葉」を投げかけられるのに辟易しました。


そして10年前、新人類の私が30歳、しらけ世代が40歳、団塊の世代は50歳。


想うことが多々あり、この頃から個人的に政治経済を真剣に勉強し始めました。

日本の政権はこの当時は小渕内閣、そして森内閣、そして小泉政権へと移行していきました。

この頃に「失われた10年」などという言葉がよく聞かれました。

その時、感じた私は「勝負の年」としたのでした。

私の想いには

「何が失われた10年だ、私は努力して得続けてきた10年だ、くだらない、こんな時代の空気に同調しない!」

自分の大きなチャンスを後押ししてくれたのは 小泉純一郎氏が首相になった「小泉内閣」の気運でした。

「聖域なき構造改革」「米百表の精神」は私の普段から持つ意識をより高めてくれました。

しかし、これが一つのきっかけで自分の人間関係は大きく変わったと思います。

「適材適所」「根回しはなし」「裏談合やお約束は認めない」「ヒモのような組織は廃止」「年功序列の見直し」

(しかし年の功は必ずどの分野でも実力者は技術水準は高いので「功」でなく、年齢序列の方が近い!? )

ここで、問題になってきたのが「団塊の世代」の方々のポジションやその行動でした。

私の印象として思ったのは、

自意識を持てなく、流されるままにイエスマンでエスカレーター的な出世を目指し、

能力がなくとも、周りにやらせては「成果報酬」だけは自分が独り占め。

「学歴社会」とはいうが正確には「学閥社会」

学校に言っても勉強は好きでもなく「学問」に興味はなし、

しかしテストと単位だけは「良い数字」をゲットするためには「必死」

人口が多いから、とにかく人を蹴落とす、足を引っ張る。

本当は目立ちたいのだが、原則として周りからの「狙い撃ち」が恐いので、

やらせをしてでも推薦などをしてもらい間接的にアピール&パフォーマンスをする。

自分が人を利用するのは当然、しかし利用されるのは嫌い。

独裁とリーダーシップが混同していること。

その為に「リーダーシップ」を発揮する代表者にはやっかみや妬みから

「独裁者」と批判する傾向がみえます。

(実は裏では毛沢東やスターリンなどの身勝手気儘にやりたい人に憧れていて

「独裁者」になってみたい願望があったりする・・または、アメリカのやり方が絶対的に正しい、とも思い込んでいる。)

・・これらを上げるとだんだんキリがなくなってくるのですが、

実は団塊の世代が日本で一番最初に「何でもあり」

「自分たちの都合よいルールの構築をして、都合が悪くなれば変更」

などのアンフェアを行っていた世代でもあります。

(今の日本の文化風俗を最初にメチャクチャにした元祖 

あるいはその子供たちが今更にメチャクチャにしてしまっているようです)

今現在、私がリアルタイムでこの世代の方々に感じたのは、漠然とした大きな「不安」の空気です・・


この代の生きてきた青春時代には「民主主義」イコール「数の力」と勘違いをして、

何が何でも数を集めれば主流になれる、という幻想があって「時代」を作ってきました。

しかしながら、今やその感覚はもうどの世代にも通用しなくなり、

残っているのは「虚しさ」だけなのかも知れません。


この世代は人数が多いあまり「政治」に利用されていて「経済界」のカモにされていたのです。

そして彼らも、政治を利用して経済を利用してきたので、

その恩恵を今から思えば永続的にあるように考えていたのですが、実は現実に不可能でした。


ここ2~3年の間、早期退職や定年退職を多くがしてきました(まだ続きます)

昨年のリーマンショック(実はサブプライム・ローン問題)から発した世界恐慌で

「退職金」をネットの株取引で全部を失うほどの損失をしたのもこの世代が多いようです。


1972年に日中共同声明、1978年に日中友好平和条約。

私の推測ですが、大多数の人間たちをどのように利用するかを考えた日本政府は

当時の中国政府の社会主義的なやり方にヒントを得て、それを行ったのが公的機関なのだと思います。

そしてアメリカにも、ヒントを得て行ったのが日本列島改造計画。


日本の多くが東京・首都を目指せと、考えて、

高速道路の完備と車の普及=建設産業と自動車メーカーの隆盛。

鉄道整備と土地開発=不動産業と鉄鋼。

従業員確保と流通=民間銀行の金融業と郵便事業、そして証券会社。

お役所の受注での政府機関との癒着。

そして朝鮮戦争、ベトナム戦争などの「軍需産業の下請け」

彼らの恩恵は、これらにあり、これがあってこそでした。

もうこれらはないし、有り得ない。

日本の政治経済全部を含む中で、本音と建前の時代は終わりました。

世界的に「実力・能力主義」はより高まっています。


ふと見ると日々の健康不安と精神不安に苛まれる日本の「団塊の世代・・特に男性」は、

どのように生きねばならぬのか、実は毎日を彷徨っているのかも知れません。


しかし、つけ加えれば この世代の女性の多くは健康志向が高く努力家であり、

熱心に毎日を充実した生き方をしているのを感じます。


日本は長寿社会である、ということが良くも悪くも今見直されています。

今年のアメリカを思った時に「オバマ大統領 就任式」に暗殺の心配がありました。

しかし何も起こらなかったのは、実はもう「彼ら」は社会的にアピールできる能力はなく、

あるいは「異なる世界の住人」になっているのかも知れません。


これからの全世代の「日本人たち」は自分の意志で、どのような「道」を生きるか。

道を歩んでいる人は強く、道のない人は迷う、そんな現実があると思います。