「気功」という言葉を使った書物「気功療法実践」が1957年に出版されたことで

中国国内から、1980年代ぐらいにはアメリカ・ヨーロッパや日本などで、

一躍「いろいろな意味」で話題になりました(中国政府的なやり方ですが)


今は2009年ですから、この52年前の頃に起こった出来事は1956年には有名な「百花斉放・百家争鳴」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E8%8A%B1%E6%96%89%E6%94%BE%E7%99%BE%E5%AE%B6%E4%BA%89%E9%B3%B4

1957年には「反右派闘争」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%8F%B3%E6%B4%BE%E9%97%98%E4%BA%89

「大躍進運動」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D%E9%80%B2%E6%94%BF%E7%AD%96

そして10年後は「文化大革命」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD

その中で 中国は毛沢東を中心に社会主義政策路線をひた走っていました。


劉貴珍(1920~1983)は中国共産党員となり、

今現在でも北京市中南海にいる共産党幹部たちが夏には訪れ

会議などを行う河北省北載河の保養地でもある気功療養院において、

そこで清代初期から続く「内養功」と呼ばれる意識呼吸法やイメージトレーニングが中心の

「静功」を広め、これが政治家たちに好まれ中国全土へ紹介、普及したことがきっかけでした。


この方法を喜んだのは外には現れずとも内面には強引な政策を推し進めストレスを溜め込み、

心身が疲労して、運動不足になり生活リズムが乱れがちな共産党の指導者たちでした。


日本では1978年の日中共同声明 1978年日中平和友好条約 締結以後、

多くの太極拳や気功をきっかけにした文化交流が始まりました。


しかし普通の一般人は多くなく中国政府に近い団体同士の交流でもあり外交の一部でもありました。

当時は欧米への対決意識が強く文革以後の中国文化をアピールしたいねらいもあって、

効果や効能をかなり誇大表示していたこともありました。


今でも普通一般に少し不思議な世界だと思われがちなのは、この背景の部分を連想していると思います。


現在はずい分と路線変更をして養生の部門の一つということでまだ活動をしていますが、

かつてのような勢いはなくなったようです。


かつては神秘主義への憧れとして

興味を持ってマスコミたちも一緒に関心を持っていたのは

世紀末思想の悲観主義から免れたい願望が

超能力やUFOとかの空想的な超常現象などへの不思議な期待感が世界的な流行もあってのことでしたが、

今から感じると潜在的にあった米ソの対立からくる東西の政治経済の将来の不安とか、

身体的不安や精神的な心配事から逃れたいという意識が

このブームにのった人々たちの自己意識洗脳活動の運動にもなっていたことを思います。


私が大事にしたいのは、本来の姿であり、

具体的な「動功」があり、そして心を落ち着かせるための「静功」と動静が結びついた功法です。


(やはりこの世界でも文革の嵐で大きな悪影響を受けました・・実はその後の「気功」でもあるのです)


呼吸法を伴い柔らかな流れをした柔軟運動や関節強化をする套路形式で行う運動を、

日本では全て中国と同様に「気功」という名で広められてしまいましたが、

それは1957年の劉貴珍・気功療法実践という本がきっかけでしたが、

元々は荘子にも記されている導引が正式な呼び名です。


これは神秘主義とか奇術などとは全くかけ離れていて、

どなたでも心身共にその心地良さが理解しやすい運動であるもので、

言葉と動作の一致した歴史ある伝統の「導引」「五禽戯」のやり方を大事にしています。