中国最古の医学書、黄帝内経にある有名な言葉「未病」の概念です。

「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」

現代を思うと「病」を発してから、気付き治療にあたる、ということ です。

多くの病の原因は特定できず、高額な治療費を払い、医療界に莫大な儲けを与えます。

それは政治家への献金にも結びつきまたその業界へとメリットの廻る構造があります。

「未病を治す」

私の毎日はこれにつきますが、あまりそれに気付いてくれる人は少なく、

何かとても軽い感じで流されていくのに、残念に思うこともしばしばあります。

その反対に行う動作に意味や根拠はなくとも簡単で、

不思議なカタカナ並びの文字には何故か理解を示し

「やせる」とあれば 腰をやたらと回すような新しく作られたダンスなどには真剣に行う大勢をよく見かけます。

(結果的には、元々細いモデルさんなどを使って 誇大宣伝広告には多くが引き寄せられているだけで効果がなくとも次の同じようなものに引っかかっています・・最近は日本人はこれでいいのかな、と傍観しています)

現代人は傾向として、仕事に疲れストレスが溜まったら、

何も考えたく無いために ただ美味しそうなものをやたらとたらふく食べ 

見た目だけは良い服に身をくるみ 夜遅くまであまり意味のない行動をして 睡眠不足になり 

朝は不調で 仕事にはあまり興味が湧かない、職場ではまた大きな作業を押し付けられてストレスが溜まる・・

これの繰り返し。 

衣食住や人間関係、体づくり、全ては自分自身に関係し 自分の周りにも関係することばかりです。

何がどうなって現代社会はこうなったのか、

「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」

「今の人」は未病をおろそかにし、既病に悩む」

こういえると思います。


しかし、これを築いたのはまぎれもなく現代社会の日本人のはずです。