「ピンチはチャンス」

最近は、この言葉も「お題目の繰り返し」的に使われるようになりました。

実際はどうか。



どなたでも、皆さんの身近の全ての方々の行動から言動と

その結果を見るとその「答え=正答」を知ることができます。



資本主義における国家では

政府を挙げて金融的な「危機」を宣言・提言すれば多くの人々は必ず過剰反応になります。

私は感じるに、これも政府の策略であると見抜いています。

今現在の政治経済の優位なポジションを持つ60代後半~50代の人間は、

この「策略・謀略」の連続パターンを利用して出世した人間たちです。

彼らは、最新情報を仕入れては「後出しじゃんけん」で

利益を貪ったスタイルでこの数十年間やってきました。


ここ数年の ネット社会の進化は、これらを抑制:やらせないようにも意見が述べられるようにも成長できました。

「ピンチはチャンス」は、その通りです。



しかし、これから留意しなければならないのは、

国家は、意識的に「ピンチ」を誘発する事を連発し、景気を良くしたり、悪くしたりして マネーゲームで市場を

操作していることにも気付くことも必要です。

好景気には マスメディアを利用しては やたらと高額設定で 衣食住を売り払い ローン(支払いにおける奴隷状態)にさせて

情報を煽りブームに載せて好印象を演じて たくさんの受注、契約をとり、

それからは、何かと知られざるようなところから 不景気を呼び込んでは、二束三文で自滅していくそれらを

買い取っては また好景気を演じ煽っては 高額でまた見ず知らずの人々に買わせる。

この繰り返し。



騙され、載せられてはいけない と注意が必要です。

「ピンチはチャンス」の本当の意味は、

ピンチの人は時に利用され 葬られるはめにもなり、チャンスはそれに乗じて 成り上がる。

これらには現代ビジネス界での方法としては普通なようですが、

私の個人的な意見としては、あまり好きではありません。

(固くてスミマセン) 


「ピンチはチャンス」

チャンスを装う、ピンチな人はやがてぼろが出る、

チャンスをいつも待って 引き寄せる努力家が

うまく行って欲しいと いつも願っています。


それにピンチを引き寄せた輩には責任を取れ、と言いたい時がよくあります。

チャンスは

ピンチの中にチャンスを見出せた、努力家が有意義な勝利を受け止めるようになることを願っています。

(長くなりましたが、手っ取り早くいえば 心無い人は世に成功することは永遠にない、と思います)