古くからある「言葉」や「格言」は

問うた人、問われた人 双方共に「人」を試されているものが実は多いのです。



古来に「一動陰陽」という言葉があります。



「一」が動けば同時に「陰」と「陽」の両面の意識が動きます。

これは誰でも同時に感じることができるはずです。



景気や人の心理状態がいい例です。

不景気になれば動く者もあれば動けなくなる者もあります。



表裏それぞれです。



表ばかりを見すぎて裏で失敗するもの、裏ばかりを見ていて表でも大きな失敗をすることもあります。

それに裏で見ていたことを考えすぎて表で大失敗することもあるし 


裏を見てきて表で大きな成功を勝ち取ることもあります。



表裏の見方も人それぞれです。



ふと我を振り返り 自分の今の全てを思うに、もう自分のライフワークを感じれば 


もう既に全ては充分だと感じています。

欲しいものは、物質的には 特にありません。


(必要なものは充分に満ち足りています(自分以外の人がどう思って感じているのかは知りません)

「幸福感」は大事です。



自分が「幸福」だと実感すれば、それで幸せです。

(その逆もありますね 全てが物質に満たされても心が満たされなければ、


地球すら物足りないと考える人がそうでしょう・・。

実は世間知らずか、偶然に大きな出世をしてしまい 気付かずに思い上がってしまった人も多くあり、


この場合では時間と不本意に闘っている方もあります)



自分の人生で大切にしたいのは表裏一体・無知無欲でいいと思うのです。

※言葉の意味の履き替え違いをする人もいるので、念のために(これは私の意見ですが)

「表裏一体」は大丈夫でしょう。

先ず「無知無欲」の「無知」は、知識や教養の無い人 という意味ではありません。  

既に身につけた「知識と教養」が深くあり 無駄な知識や不必要に作り上げる時代の嘘を見抜き 


無意味な事を知らなくて(無視)して良い という事です。



「無欲」は比較や見栄で欲しがるものは捨てて、本当に必要で大切なものを守るということです。

簡潔にいえば、真剣な人生を生きていく上で「要らなくてもいい無駄な知識」は捨て、


真剣な人生を生きていく上で「必要な要求」は満たし、「無駄な欲望は要らない」ということだと思っています。


人は口や文字で書くには 何とも空想や妄像の力を借りて場当たり的には言えるものですが、

(虚勢:つまりは勢いに乗ったノリだけの力は長く続けられないので、後になれば誤魔化しもバレてしまうものです)

全ての「行動」は それがその人の、全てであってであり、「結果」がそれを物語っていると思います。



そういった意味で「結果主義」というのは好きです。