自分の毎日の活動の中で仕事場としては民間企業のスポーツクラブ経営のフィットネス業界にいます。
ボランティアとしての地域での福利厚生施設での指導。
(かつては病院もやりました、その時の印象としては医師や看護婦さんが一番疲弊労している現実を見ました)
そして学校の部活での課外授業のお手伝いとしての若者たちへの指導。
そして日本でも本格的な中国武術運動(太極拳や動功としての伝統気功、五禽戯や導引)を紹介する為の普及活動をしています。
何故にこういう生活パターンを選んだのは、老若男女たちのいる時代の「世」を知ろう、と思ったことがきっかけでした。
「社会」というのは、ありとあらゆる人がいて、
いろいろな考え方があって時代によっても常に変化しながらできています。
世間では「会社」を知っていても「社会」を知らない人も多いと感じる時があります。
その理由としては、ある「会社」や「共同体・コミュニティー」に何らかの理由があって、
そこを去らねばならなくなると、人によっては存在する「世界」がない、と思ってしまうような事象を見た時です。
(実際に経験的に私も当然何回もあるので、気持ちは充分に解ります)
人は自分の道理を守りながらも、ちょっとした世界の見方を変えることができれば、
どの「世界」でもなんとかでも生きて行くことは可能だと思っています。
そこで大事にしたいのは、「小さな勇気」の実行です。
今の世を見ると「やる瀬なく」感じるのはあります、私も当然あります(特に今の職場である、フィットネス界には残念に思うことがあり、課題もたくさんあります)
例を挙げれば「より良くなっていく為に」なんて言葉では正当化しても行っているのは
「横取り・分捕り」「引き抜き」「裏切り」や「誤魔化し」や「捏造」などです。
見回してみると、
今や大企業間でもそうだし、
テレビ番組制作会社の「マスメディア」も開き直ってやっていたりしています。
当然、人々たちは それが「普通」なんて感覚になり易いのかも知れません。
しかし、そんな風潮や傾向が世を良くする事は無く、
むしろ揉め事を増やすだけになることは誰の眼にも明らかだと思います。
「赤信号、皆で渡れば怖くない」なんて揶揄された言葉が流行ったこともありました。
しかし今現在は「赤信号、皆で渡って 撥ねられた」そんなことを思うことがあります。
自分は、こういう「考え方」は自分の生きて来た道理に全く合わないので迎合する気は全くありませんでした。
そのまま今日があります。
それでも、自分は今、
とても大切なずっと長く続いている親友達や同じ気の合う仲間たちに囲まれて幸せだと思う時があります。
世の乱れや、時代の生み出す嘘つきたちがいくらたくさん出てきたとしても、
そんな彼らの世界があったとしても、
確かに昔から「蓼食う虫も好き好き」という言葉がありますので(蓼とはムカデのことです)
その存在の否定は今はできない時代なのかも知れません。
その為に、自分達の大事な「社会」を皆で守り、
心と気が通じ合う中にいて力を合わせてこえからもずっと一緒に頑張っていきたいと思います。
誰であっても、公正で正直でいる「努力」は必ず報われる。
そう信じています。
だからこそ、力を合わせて頑張ろう!