私が影響を受けた夏目漱石の作品の短編の「野分」です。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/791_14959.html

以下、作品より、


「理想は魂である。魂は形がないからわからない。

ただ人の魂の、行為に発現するところを見て髣髴(ほうふつ)するに過ぎん。

惜しいかな現代の青年はこれを髣髴することが出来ん。これを過去に求めてもない、

これを現代に求めてはなおさらない。

諸君は家庭に在(あ)って父母を理想とする事が出来ますか」

 あるものは不平な顔をした。しかしだまっている。

「学校に在って教師を理想とする事が出来ますか」

「ノー、ノー」

「社会に在って紳士を理想とする事が出来ますか」

「ノー、ノー」

「事実上諸君は理想をもっておらん。家に在っては父母を軽蔑(けいべつ)し、

学校に在っては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これらを軽蔑し得るのは見識である。

しかしこれらを軽蔑し得るためには自己により大(だい)なる理想がなくてはならん。

自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。

現代の青年は滔々(とうとう)として日に堕落しつつある」

~中略~


「理想のあるものは歩くべき道を知っている。

大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子(まいご)とは違う。

どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである。

「諸君のうちには、どこまで歩くつもりだと聞くものがあるかも知れぬ。

知れた事である。行ける所まで行くのが人生である。

誰しも自分の寿命を知ってるものはない。自分に知れない寿命は他人にはなおさらわからない。

医者を家業にする専門家でも人間の寿命を勘定する訳には行かぬ。

自分が何歳まで生きるかは、生きたあとで始めて言うべき事である。

八十歳まで生きたと云う事は八十歳まで生きた事実が証拠立ててくれねばならん。

たとい八十歳まで生きる自信があって、その自信通りになる事が明瞭(めいりょう)であるにしても、現に生きたと云う事実がない以上は誰も信ずるものはない。

したがって言うべきものでない。

理想の黙示(もくじ)を受けて行くべき道を行くのもその通りである。

自己がどれほどに自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。

過去がこうであるから、未来もこうであろうぞと臆測(おくそく)するのは、

今まで生きていたから、これからも生きるだろうと速断するようなものである。

一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものはすべて山師(やまし)である」

~中略~

「社会は修羅場(しゅらじょう)である。

文明の社会は血を見ぬ修羅場である。

四十年前(ぜん)の志士は生死の間(あいだ)に出入(しゅつにゅう)して維新の大業を成就した。

諸君の冒(おか)すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。

血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。

諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。

斃(たお)るる覚悟をせねばならぬ。

太平の天地だと安心して、拱手(きょうしゅ)して成功を冀(こいねが)う輩(はい)は、行くべき道に躓(つまず)いて非業(ひごう)に死したる失敗の児(じ)よりも、人間の価値は遥(はる)かに乏しいのである。

「諸君は道を行かんがために、道を遮(さえ)ぎるものを追わねばならん。

彼らと戦うときに始めて、わが生涯(しょうがい)の内生命(ないせいめい)に、勤王の諸士があえてしたる以上の煩悶(はんもん)と辛惨(しんさん)とを見出し得るのである。

――今日は風が吹く。昨日(きのう)も風が吹いた。

この頃の天候は不穏である。しかし胸裏(きょうり)の不穏はこんなものではない」

 道也先生は、がたつく硝子窓(ガラスまど)を通して、往来の方を見た。

折から一陣の風が、会釈(えしゃく)なく往来の砂を捲(ま)き上げて、屋(や)の棟(むね)に突き当って、虚空(こくう)を高く逃(のが)れて行った。

「諸君。諸君のどれほどに剛健なるかは、わたしには分らん。

諸君自身にも知れぬ。ただ天下後世が証拠だてるのみである。

理想の大道(たいどう)を行き尽して、途上に斃るる刹那(せつな)に、

わが過去を一瞥(いちべつ)のうちに縮め得て始めて合点(がてん)が行(ゆ)くのである。

諸君は諸君の事業そのものに由(よ)って伝えられねばならぬ。

単に諸君の名に由って伝えられんとするは軽薄である」

~中略~


想うと、私は「あの時のまま」なのだと気付きました。