今までに歴史に残る偉大な業績を果たした人々に共通すること、

それは、孤独でいる時に、実際に行動を起こし、考え、反省し、失敗を起こしては また努力で乗り越えてきた方ばかりということです。

自分は、そんな方々を尊敬しています。

「孤独」というのは、厭うものでなく 味方につけられるかどうかで決まります。



一人で自然を眺めていると、感じてくるものがあります。


また ゆっくりと人混みの中を見つめていると 世の憂いの答えを発見できることもあります。



孤独を知ることから優しさや思いやりも生まれるし、適切な厳しさも生まれる。



自分から逃げず、向かい合うこと。それが「一」とすれば、

この確立がうまくいけば人と人ともうまくやっていけます。

そこでの一対一がうまくいければ、一対不特定多数もうまくいくと思います。

今の世の中は、何かと不特定多数になれば何をやっても悪くないような風潮や傾向がまた蔓延し始め、

不快にと思う雰囲気が平然とばら撒かれ、


結果的には「人」を大事にしているとは思えない事象をよくみかけます。



しかし、そこから学べることもあります。



例えば、人から嫌な思いを感じさせられたら、自分が「嫌だな」と思ったことを分析すること。

そうすると、その反対なら「好意」に替わるはず。

自分はその「好意」を身につけられるように努力をする。

うまくいく秘訣ってこういうところにあると思っています。



物事は全て複雑ですが、そこの中で一番大事なポイントを見抜くことだと感じています。

私の個人的な今の世の中の問題の多くは ただ「不健康」から来ていると思います。

それに気付く人もあまりない、ということは 


そこにすら精神衛生的にも肉体的強度にも充実していない人が多すぎてしまい 指摘してくれる人も少ないのだと思います。

私の思う理想としての「健康なからだ」を定義するとすれば、

「身体感覚が良好であり、五感が冴えている つまりは大脳における受動・能動感覚が早く、肉体(筋肉や骨、それらをつなぐ神経系統)は軽く感じ、快い意識で存在していること」

例えば、こうした「健康感覚」を日々維持し、作っていく(身体作り)というものは、


いつもしっかりと自分の眼で見抜く真剣な「孤独力」が必要で、

積み重ねてきた努力が今の身体、


つまりは大脳、内臓、骨、皮、筋膜 肌肉、筋、血液やリンパ液など 体内の60%以上の水分とその循環を作っているのだと思っています。

自分の健全な孤独力を人の世に活かすことをしてきたかどうかで、


実は10年、20年と経つと人間的な差が出るのだと思っています。