来月に安徽省亳州市を訪問するので、今いろいろと勉強しています。
今回もツアーを組みましたが その目的は この世界に長くいる自分自身がより楽しむ為に
それを皆さんでそのリアルな「瞬間」を自分だけでなく一緒に分かち合う為に企画しました。
今回は構想にもの凄く時間と手間をかけたので(この機会以後、ツアーはひと段落するので少しお休みしようと思っています)自分でもいっぱい楽しんでおきたいと思います。
今現在たくさんの日本語版で書かれもいる歴史書である「正史三国志」「魏志倭人伝」「老子」「荘子」「淮南子」などの古典を読んで「導引」や「五禽戯」の歴史を調べています。
中でも、かの場所は 道教発祥の地であるので「老子」は重要で毎日拝読しています。
その中にあるものでは「無為自然」という言葉が有名です。
このことばを訳すのに、感じたのが
日本人の多くが「自意識:自分自身の本音からの意識」で文章を読み解き 行動するのが苦手なのかも知れません。
(一般的な日本で毎日流され続けるマス・メディアにおける情報操作に乗り易い大衆意識を作っているのだと思います=流行れば不自然でも何でもやる)
私の感じるのは「無」と「有」は一心同体で 現れ方の対比だと感じています。
中国の古典的思想というのは逆説的表現が多いのを知っている方もあると思います。
「無為自然」もその一つです。
逆説的に書けば「有為不自然」ともいえますね。
「何か一個人的な発想だけの満足を求めたり」あるいは「行い」が何かを誘発させるために行われるならば、
それは不自然である「有為」の行動になるのでしょう。
今現在のご時勢を思うなら
不況や不景気を呼び込んだのは、
何か不自然なムーブメントを起こした行動の結果が引き起こした、ということです。
「有為不自然」だったと思います。
故に「無為自然」の重要さ。
自然の流れの中の行動。
不自然で無意味なことをせず、自ずから有意義なことを実行していくこと。
ただこれに尽きると思います。