ゆっくりと先ほど、馴染みの中華料理店でゆっくりと食事をしていました。

外にはランタンの灯かりがきれいに見えていました。



ふと、その文字を読めば「万事如意」「大吉大利」と書いてあります。

両方自分の好きな言葉でいい文字だな、と思いながら見ていました。

ここでふと「万事如意」を訳すと、

万事:多くたくさんの物事が 如意:自分の思い、意識のままにうまくいくこと、だと思います。

「大吉大利」は字のごとく、大いなる吉は大きな利益(りやく)を共にもたらすように、といえるでしょう。

ここで、現代日本人たちのことを想ってみました。



例えば「自由」

確かに私達日本では、よく「自由」だ、ということがあります。

しかし、それは本当に「自由」なのだろうか。

一体、多くの日本人たちは自由の意味を知っているのか、とも思います。

単にそれは法律などで咎められない中で、好き勝手にやっている、というように感じたのです。

自由というような言葉を好き勝手に使っている割には小さな世界で、


あたかも箱庭のようなところでチョコチョコやっているに過ぎないのでは、と思います。

毎日の満員電車の中のような人間関係。


自分の意志で思い通りにならない時間や空間、精神、行動や実践。



先ほどの「万事意如」「大吉大利」からは実は遠く。

万事、人の意の如く、に振り回され、小吉小利に一喜一憂の繰り返しの毎日。

かつて夏目漱石は「日本に持ってくると何でも小さくなる」と言った通りだと感じました。


来月はまた中国にツアーで1週間行きます。人によっては1週間も!?という方もありますが、


大陸は1週間なんかじゃ全然足りなくて たった1週間でしかありません。



広い大地。流れる風。何事にも興味や関心を持って目をキラキラさせる人民たち。

長い歴史の中で培った文明の中で力強く、へこたれることのない人たち。



そんな中国大陸が自分は好きです。

小さな日本に生まれたけれど、心は大きくありたい。