亳州市は、中国安徽省の西北に位置し、約3,700年の歴史を持っています。唐代に譙から亳州に改称されました。
道教の祖といわれる「老子(ろうし)」「荘子(そうし)」、三国志・魏の英雄「曹操(そうそう)」、
神医「華佗(かだ)」の生まれた故郷として知られるほか、薬草の栽培が盛んで「薬の都」として名高く、
毎年9月に中国最大の薬材市が開催され、全世界から買い手が集まってきます。
(↓黄河と広がる中原の大地)
悠久な歴史と豊かな文化財があることで国家クラス歴史文化名城、優秀観光都市に選ばれ、
国家クラスの重点文化財保護指定を受けている花戯楼は亳州市の文化財の代表的な存在であるため、
毎日、内外の大勢の観光客をひきつけています。
(↓花戯楼)
(↓曹操公園と曹操の像)
河南省と山東省に隣接したこの地域は歴史小説の三国志や水滸伝などの時代の舞台の中でも栄えていたことが伺われ、
温暖多湿な気候と長江と黄河流域の水と緑に恵まれた肥沃な土地であり、薬草の栽培など、
農業を基幹的な産業として、酒の醸造・漢方薬の集積そして桐の生産などによって発展しています。
私達が訪問する時は市の花である、芍薬の花が咲き誇る時期になるそうです。
(↓昔ながらの面影を残す、明清街)
(華侘について)
「華佗の故郷・漢方薬の都」といわれている亳州市は、世界最初の西洋医学の医師「神医華佗」や後漢末の武将、政治家、詩人三国志・三国時代の英雄「曹操」の出身地としても広く知られています。
華佗(かだ,Hua Tuo - 208年)は、中国の後漢末期の薬学・鍼灸に非凡な才能を持つ伝説的な名医。本籍は沛国譙県(現在の安徽省亳州市)で、字は元化(元方)。「華陀」とも書く。
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(↓中国一を誇る 大漢方薬市場前の華侘像と華祖庵・華侘記念館)
(↓漢方薬市場内)
養性の術に通暁しており、その評判を聴いた曹操の典医となり、持病であった頭痛の治療に当たっていた。
当時の人々は彼の年がもう百歳になるはずだとしたが、見たところは若々しかったそうです。
麻酔を最初に発明したのは華佗とされており、麻沸散と呼ばれる麻酔薬を使って腹部切開手術を行ったといいます。そのため、民衆から「神医」と呼ばれました。
(五禽戯)
また、虎・鹿・熊・猿・鳥の禽獣の動きを取り入れ後に明代以降の発達した中国武術項目の虎拳や猿拳、鶴拳のルーツになった五禽戯と名付けた伝統気功を編み出した。そして薬酒の屠蘇の発明者とも言われています。
http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-10117960463.html
(↓伝統華侘 五禽戯 第58代伝人 修海燕老師 周金鐘老師)
「三国志演義」では虞翻の仲立ちにより、周泰の重傷を治療を施し、
また、龐徳との戦闘で毒矢の傷を受けた関羽を治療するため荊州に出向き、ひじの骨を削って毒を除いています。このとき関羽は、酒を飲みながら馬良と碁を打っているという描写があります。
(↓華侘五禽戯57代目伝承者 薫文煥老師)
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大関帝廟である「花戯楼」には300年以上の歴史があり、裕福な漢方薬材商たちの寄付で築造された寄席演芸の舞台です。
数十の寄席演芸のシーンを表現したレンガの透かし彫り、彩色画によって舞台が装飾されており、とくに人々の目をひきつけているのは、その舞台の裏側にあたる牌坊(中国式の鳥居のようなもの)に施されているレンガの透かし彫りが実に見事です。
何層かの透かし彫りは、微細なところまで生き生きと彫刻されており、往時の工匠たちの腕は確かに驚嘆に値するものです。
そしてそのレンガの質も非常によいもので、300年後の今日に至っても、風化などによる損耗も非常に少なく、彫刻もほぼ完璧な形で保存されています。
(↓花戯楼)
1800年間の歴史ある 神医・華侘の五禽戯を学び、三国志の英雄・曹操の故郷訪問の旅を行います。
時期:GW期間 4月下旬~5月上旬
http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-10202295042.html











