仕事の在り方について考えてみました。

世の多くは「仕事=金銭的報酬の得られる作業」

こんなイメージのようですが、自分の考えでは異なっていると思います。

「仕事=役割」だと考えています。

「役割り」というのは、たくさんあります。


どんな些細な物事でも、人々が何らかのかたちで喜んでもらえれば、それはそれで「役割=仕事」になります。



世にある多くのビジネスの原点の原点はそこから全て来ているはずです。


役割の仕事をすることで人々に喜ばれ、そこから何らかの報酬が得られることはあると思います。


(たとえ得られることがなくとも仕事は仕事です、それに考え方はひとつ、楽しさや発見も報酬にもなるとは思いますが)

しかしそれが目的が入れ替わると人の意識は変わると思います。

つまりは役割のためにするのではなく報酬を求めることだけが目当てになると、


競争が生まれやすく人のものまで欲しくなるゆえに、それを手に入れるための手段や方法が見ていて心苦しくなる行動をする人も出てくるようです。

(そのことが次第に他の人の心をも傷つけたり心配させることになっていくことを残念に感じます)



いつか「多くの金銭的報酬を求めるもの」それがビジネス、それが仕事。


そんなイメージが膨張し過ぎてしまいました。

それをより多くの人々が求めすぎ、人が喜ぶよりも 先ず自分が喜びたい、もっと増やしたい・・



自分が喜びたい、と願うのは本質としては間違いではありません。大きな成果を喜ぶのはいいことだと思います。

しかし多くを求めるには そのことゆえに それにより多くの人々が喜ばれることの原点から出発し、


いくつかのプロセスをたくさん経てから自分のところへ来た、という流れを強引に縮めてはならない、とも感じます。

役割は仕事だと考えています。

例えば、電車の中で見知らぬ誰かが、飲み捨てて行った気掛かりな「空き缶」があり、


それを処分してあげることで、周りの人が良かったと思われることだって小さな仕事の一歩です。



世界中に人々が毎日元気に生きている限り 無くなることは決して無い、

焦らずに慌てずにしっかりと行うことが大事だと思います。

時間は必ず過ぎてゆく、しっかりとした役割りを積み上げれば、積み上げた分だけ成果は必ず残るものです。

中国語で時間を「工夫」といいます、


それは日本語なら「工夫:くふう」になり、「功夫:gong fu カンフー」に通じます。



全ての仕事は「工夫」です。

富とは「心の豊かさ」だと思っています。


今の日本(日本人)はどうか。

人それぞれの「想い」の中にあると思うのです。