今日は久しぶりに山下公園に来てみました。

港が見たくなったためです。

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前はよくここまで自転車で来ました。


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落書きだらけの桜木町の線路下ガードを抜けて 港をぐるっと回ってきてマリンタワーの下でひと休みが慣例でした、今は便利になり電車でもすぐ近くへ駅が出来たので気楽に来られます。

(自転車で来るとあちこちと周るのはいいのですが、途中に山を一つ越えなければならないので帰りが大変・・)

海の潮風にあたり、少しいろいろと思いを馳せてみますとたくさんの思い出が脳裡をよぎります。

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横浜に全ての拠点を移してやってきて、もう来月で満10年です。

自分は東京に生まれ、


武術を地域に根付かせた活動の実現を夢に見てやろうとして出来なかったことが、横浜では5年間ほどで既に実現・達成できました。

この街と自分はとても息が合い、大きな縁があるようです。

実は昔、まだ自分が子供だった頃、


夏に父がよく海に行こうと連れて行ってくれたのが三浦半島の油壺でした。


その帰りにはスイカを買ってから 横須賀の米軍基地辺りを通り、中華街へ寄り食事をしてこの山下公園で夜景を楽しんだものです。

そんな思い出の数々を思い出しながら歩きました。

ちょうど今から10年前の一大不況の時に決心をして移り住んで一度は誘われて提携した事業が全然うまくいかなかったこと、

スポーツの仕事にもう一度原点から立ち返り、フィットネス事業の中でタイミング的にも求められ うまく頑張れたこと。

今ではこの世界でも有難いことに毎月発行されている全国誌フィットネスジャーナルにも出ていることからも知名度も上がり、こんなご時勢でも順調に楽しく頑張っていられます。

広がった空をゆっくり眺め、

冬の寒気を含む風にキリッとした感覚が自分は好きです。見上げればカモメたちも元気よく飛び交っていました。 

次に中華街の散策です。


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今日は平日でも賑わっていました。

気儘にのんびり歩くといろいろな発見があります。

いつも通る道があるので、そこを歩きました。


やっぱりここに来て思うのは異国でも体を張って商売に勝負をかけている中国人たちの熱意にはいつも感心します(時には、やり過ぎも感じることはありますが・・)

日本人はどちらかというと「おすそ分け」の文化なので、金稼ぎに全てをかけている中国人を見ると文化の違いも感じます。

自分は1985年の時点(16歳)から中国大陸へと行くようになり、


慣れてしまったので中華街のこういった街並みはサンフランシスコやロス・アンゼルスとかにも共通する観光地としての場所はむしろ新鮮に感じます(思うとこういった狭いところにぎっしり詰まっているのは香港とかの町並みに近いのかな)

立ち寄った物産展で翡翠などのブレスレットとかペンダントを見たり、あちこちを見て思うのはいつも感じるのはずい分と割り増しで高く売っているのだなぁと実感します。

でも日本人たちは知らずに喜んで買っているから、それはそれでいいのかな、とも思いました。



実をいうと本当は、


昨年夏の北京オリンピックが大いに盛り上がって中国ムーブメントの波が来たら新春から新しい事業を立ち上げようとする話しがあって、準備をしていたのですが、

北京五輪の開始直後に株価が下がっていたことを感じて共同事業だったのですが、自分が率先して提案し それらを全て先送りにできたのは良かったと思っています。 



今現在ではむしろ地道で堅実なフィットネスの仕事と、ボランティアとしての普及を続けてきて何の悪影響も受けることなく 時代としては大凶であったのに自分はむしろ小吉ということで思うに幸運だったと感じます。


中国武術の世界に長く触れていれば養生だけでなく、


歴史ある中国文明の築いた 運勢や風水などの根本の思想哲学はさほど難しくなく身近に理解できるようになります。

関帝廟でお参りと挨拶をしてから この通りを歩いてみたら骨董品店があり、覘いてみました。


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骨董品店というのは、見てみるといろいろと考えさせられるものです。

清の時代のものはかなりたくさんありました。宋や元の時代の茶器とか香炉を見て文化をやっぱり感じました。

究極的には、生きていく中で、不必要な物はそれぞれに必ず自然淘汰される。

いつまでも残され、有難いものはずっとずっと後代にまで伝えられる。

それが文化。



今日、一人の文化人として想ったことは、

目の前の経済的なメリットなんて浅はかなもの。



多く世間一般の現世の人たちを感じたのは、

刹那主義の究極の姿まで正当化したゆえに、

時にスピード社会とか スローライフとか謂ってみたりして 自分達で煽って創り上げた時流があり、


それが多種多様になり過ぎてしまい、自分達もそれに乗れなくなってしまった現実を思います。

ただふらふらとした彷徨える感覚に多くの人々が冒され、未来を予測できなくなったのでしょう。



かつて中華文明が羅針盤を作ったのは偉大な知恵です。

しかし、その作られた本質を知る人は少ないのではないのでしょうか。



ただ一つの方向。

北を知ることで、その他の自然界と人間界の全てに予測し行動できる人と、

電子音がいつも鳴り響き 何万台ものコンピューターの中に固定され、


四季の自然感覚も鈍く判らなくなり、人間同士の見聞・コミュニケーションもできなくなってしまう現状に生きる現代人たち。

今、世の中には物質的には全てが与えられ、満足できるものばかりの世界に私達はいる。

日本人の多くが、それを気付かずにマスメディアも迎合し 日々憂い嘆き続けている。

私は遥か前からそれに気付いていた。


とにかくこの10年間の中で最も能力が下がり、ないがしろにしてきたもの。


それは人の「心」