次にやってきたのが建長寺。
どこからかやって来た修学旅行の生徒さんが初々しくあちらこちらにいます。
自分はゆっくりと境内を散策しながら、初めて関東に幕府を開き、
武士としての生き方の美学を世の日本人に知らしめ、仏教の発展に貢献し、
元寇を二度退却させた 鎌倉時代へと想いを馳せながら
その落ち着きと静けさを もたらせてくれた庭園を拝観しながら その時代の優雅さを感じました。
ここに来たら必ず登るのは奥にある半僧坊です。
山に築いた急な石の階段を昇りながら考えました。
この登る為の石の一段一段も人が頑張って築いてきたものなのだ。
この一段一段の石を載せてきた作業こそが仕事の尊さなのだ、
その積み上げてきた努力があってこそ、後へと続く人が登れる様になるのだ、と。
登りきった頂上からは富士山と由比ガ浜が一望できます。
高いところから下界を見下ろすと想うことがたくさんよぎります。
「そう、全ては高いところから見たら、小さな事」
「全ては、高いところから見た感覚を大事にすることだ」
「下界の人の多くは、上から見た感覚がない、
しかしながら下界の人たちを否定することもしない。小さなことを大きく見ていることもある」
「そんなに、気にすることは世の中には何もない」
改めてまた、そう感じたのです。
山を降り、ゆっくりと気楽な心地で 次には円覚寺の方に向かいました。
途中、「運慶」作の閻魔大王像で有名な「円応寺」の前を通りましたが、その通ってくる人が語りました。
「あっ!閻魔様だ、嘘をつくと舌を抜かれちゃうんだよ~」と大きな声を上げていたのを聞いて微笑ましく感じました。
~以下引用文~
子供の頃、「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる」といわれた閻魔さまは、
焔摩、閻魔王、閻魔大王、閻魔法王、閻魔羅闍(えんまらじゃ、
らじゃは梵語で王を意味する梵名)ともいわれる。
閻魔王、閻魔大王、閻魔法王、閻魔羅闍などは、閻魔の敬称である閻魔は、
インドのヴェーダ神話では光明神の一人であったが、
人類の最初の死者として天上の楽土に住んで祖霊を支配し、
のちに下界を支配する死の神、地獄の王となったという。
また、梵語「Yama」の音訳で閻羅(えんら)、夜摩(やま)、閻摩とも書き、
地獄に堕ちる人間の生前の善悪を審判・懲罰する地獄の主神、冥界の総司で、
地蔵菩薩の化身ともいい、地蔵信仰などと共に中国に伝わって道教と習合し、十王の一つになった。
この道教の冥界思想は、唐代末頃成立したといわれ、
人は死後七日ごと(七日~七十七日)、その後は百日、一年、三年と合計十回(中陰)、十王が死者の生前の善行・悪行を裁断し、その死者のいくべき世界を定めるものとされる。
仏教では閻魔曼荼羅をすべて兼ね備えた配置がされ、
十王それぞれは、人を裁くと同時に救うのが本来の目的であり、それぞれに本地仏がきまっている。
密教では焔摩天(えんまてん)といい十二天の一人で南方を守るとされる。
~略~
そう「日本人」は皆がそのように信じている「嘘つきは閻魔大王に舌を抜かれ」「嘘つきは泥棒の始まり」というのは正しく、人の本質を突いている。
長い歴史の中に今も生きる「生き神」たちが、今現在の世を悪くした張本人たちを教えてくれます。
自分は、今までに物事をいい加減にしたくない性格の癖で
真剣に問題に向かい過ぎて余計なお荷物をまた背負い過ぎたようでした。
「元々、自分の荷物でないものは、降ろすのもいいだろう、当事者が来てそれぞれの荷物を持つことも大事だ・・」
そんな事も思いました。
そう、歩きながら考え、
しばらくすると 文豪、夏目漱石が晩年に描いた「門」に出てくる「円覚寺」の山門に辿りつきました。
~夏目漱石 「門」より~
宗助は謹(つつし)んで、宜道のいう事に耳を借した。
けれども腹の中では大事がもうすでに半分去ったごとくに感じた。
自分は門を開(あ)けて貰いに来た。
けれども門番は扉の向側(むこうがわ)にいて、敲(たた)いてもついに顔さえ出してくれなかった。
ただ、
「敲いても駄目だ。独(ひと)りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。
~略~
人生はいつだって学びである。
ふと自分へ意識を向ければ、
いつだって自分は己の意志で 自由自在に自分は動ける。
周りは気にせずに、
そう、今はどっしりと構えていよう。