中山成彬 元文部科学省の辞任について、もう一度考えてみたいですね。

http://jp.youtube.com/watch?v=yTQB7ILMjFk&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=CarMvbGqhrQ&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=aQojDeiINzU&feature=related



やたらと「揚げ足とり」ばかりに意識を向ける愚かな人間たちについて、

問題’提起’発言、とてもいいネーミングだと思いました。


私は今現在、こういった日本の教育システムや方針からも独立した、
一教育指導者としての立場から所感を書こうと思います。


先ず、将来について、

つまりはそれを担う子供達の思考の未来について思います。

親御さん等の、大人たちが関心を持つのは至極当然で、


どのように何を教えたい、伝えておきたいと考えるのはあるでしょう。

しかし、冷静に考えてみて 

その「親である人物、自分という人間の自我」を確立しているかどうか、はとても重要になっていくと思います。

今や、日本の現代社会では自由な発想が認められていますが、

思うにきっと子供達自身はおそらく、これらの親御さんや大人達が考えているよりも、
もっと深く自分自身のことを見つめて考えている、と思います。

他の野生動物と同じく 人間は生まれながらに判断力や分析力を持ってると思うのです。

しかし、環境によってあるいは人間関係の状況によって影響を受けやすいのは事実です。

ふと、ここで自分の幼少から少年・青年時代のことを思い出しましたが、
確かに学業の中で勉強した世界において、

時代が流れると、今現在ではかつて学んだ事が 知らず知らずの内に変更され、実は不適切だったものなど、
かなり多くあります。

国の教育機関の関連組織というものは、どこでも反応が鈍く 

時代遅れでもあり、国の政府と繋がれば 臨機応変には出来ず、全く応用の利かない世界のものになります。


つまりは かつて 正しいとされたものが不正で、

不正といわれたことが正しい、ということがいくつもあります。


きっとこれからも、このようなことは起こるでしょう。

それらに振り回されず、自分自身の意識による 

正義・倫理道徳の感覚からの判断力を養うことがとても大事です。

それは、決して忘れてはならない。


所謂一般教育現場では伝えられない 日々移り行く中で

自分も一教育者であり、自由人としての立場から責任を持って物事を伝えていくことを大事にしています。

一般日本社会の世間には、あるいは教育機関では、

そのことが応用できない大人(教師・教員)たちが蔓延し、

ただ機械のようにトップダウンから与えられたことをやらされるのみに終始し、

自分の自身の思いや出来事を素直に表現できなくなった(すれば批判され、更迭される)人も
たくさんある現実を憂います。


いつの日か、今の世では、

自分で自分のことをできなくて、ただ将来を悲観し 消極的で否定的な感覚に支配され 
お役所などに陳情やクレームを出すことしかできない非生産的な人たちが多くなりました・・

正直に今の自分の感想ならば、こんな大人たちに 憧れることができるだろうか・・・


自分が思うに この現実を直視してから 毎日の仕事でも活動でも 
とにかくできるところから改革してきています。

(自分の周囲では もう既に、体質改善・環境改善・生活改善が成功したのがほとんどです)

この経験から、言いたいことは、

先ず、本当の問題は 何処にあって 誰であって 何であるかを徹底的に調べること。

本当の問題を提起すること。

「このまま」がダメならば、誰もが勇気を出して協力し合ってもいいから、

批判を恐れずに明確な立場から、バンバンと責任を持って発言できるならすること。

全てが改善に繋がる行動をすぐに行うことです(無駄と無意味なことの全てを省くことです)

そして自分自身は、発展に繋がる努力を頑張って日々続けるだけです。

(問題を起こすだけの怠け者や愚かな者には再教育が必要だと思います、
あるいはそれを避けるような場合はリストラ要因になっても仕方がないでしょう)

世の方々に感じることですが、

「もう年だから」と安易に発言し、年を経つごとに人間は哀れになっていく、なんてことを正当化してくのは、

己の努力不足の誤魔化しになっていってしまわないのか、と私は感じることがあります。


人間は努力を続けている限り、進化し 賢くなる生き物だと信じています。


自分達の都合の良いような「エゴ」を教育したり、

子供達(未来を築く原動力の少年少女)を道具:ツールの如く扱おうという考え方を辞めて、

子供達だって それぞれの感性の中の自分の思いを表す(アウトプット)を尊重して、

今までの学んだ歴史(変更もある、ということも伝え)を知りながらも新しい未来型の自我アイデンティティを築くための手伝いをして、

将来にまた、おそらく意見の相違は出てくるだろう、しかしその時にも 互いに逃げずに問題提起発言をし合い、

納得がいくように解決に向かい合えばいいのだと思います。