今日は武術院の練習が終わり、仲間たちといろいろと語れる時間がありました。
メンバーたちは、それぞれに仕事があり、頑張って それを今日の分を成し遂げて終え
練習場でも有意義に活き活きと打ち込む姿には、感銘を受け敬意を思います。
自分は来年の1月で「40歳」になります。
思うと、武術に打ち込んで26年め。
昨年は「25周年」を記念していろいろと頑張りました。
そしてこれからの40歳って 周りが言うよりもずっと楽しく「いい感じ」だと思いました。
今、これだから10年後が「50歳」20年後が「60歳」30年後が「70歳」
とにかく、非常に楽しみです。
今以上に打ち込んで、もっと進化する自分の未来に期待しています。
世の多くは、目立つ世界で 華やかな世界にメディアも眼を向けますが、
それは、それで 持ちつ、持たれつでなり立っている関係です。
思うのは有名であっても「同世代」のプロスポーツ選手や芸能人を見て、
感じたのは「輝き」が失せている人が多いかな、と最近率直に思います。
時代の中で、華やかにもてはやされるのは「一瞬」
人によっては、
「一瞬」に「一生」を懸ける生き方もおそらくあるでしょう。
人生は、思っているよりも長い。
「短い瞬間」に生きるより、「楽しく 長い時空」の中で生きていきたい。
楽しく幸福に感じる時間を多く感じて、多くの人にも伝えたい。
よく目にするテレビ番組は製作におけるディレクターとかプロデューサーたちの「人口的」に作り出す「空想」や「幻想」の中に
カメラが撮影し フィルムの回っている時間に はしゃいで踊らされながら 演じて生きる虚構の人生で得られるものは何だろうか。
金銭的に物質的に、一時期的に満たされた「モノ」は得られるかも知れない。
「モノ」でなく、「心」は満たされるのか、と思うことがある。
大自然の大いなるエネルギーを 古典的には「神」と その存在を呼びました。
その大自然たちから感じれば、きっと、
「勝ち組」だの「負け組み」だの、言葉遊びはくだらない。
と仰るでしょう。
作り出された「優越感」に浸って 与えられた短い時間と空間の中で「己自身」だけを
慰めている世界に生きていたくはない、と自分は感じます。
たとえ どんな「有名で偉いとされる人」であったとしても、
今現在の「己自身」に「輝き」が無く 負けてしまったままなら、
何のための人生なのか。
今現在の、「己自身」に「輝き」があり、活き活き と前向きに肯定的であったなら、
自分自身が「己」に「勝った!」人であるのだと思います。
「勝った!」と 毎日の中で どこかで言いたいですね。
己に「勝った人」が自分の未来を動かす人に成れるのだと思います。