いつも大事にしているものですが、自分の肉体感覚は財産だと思っています。
日々の生活の中でその磨いた感覚を鈍らせるようなことはしないよう気をつけています。
先ず五感:
現在、視力は昔から変わらず 左目が1.5 右目が1.2あります。
聴力はいつも瞑想の中で遠くの音まで聞き取れるように研ぎ澄ますようにしています。
嗅覚は鼻の感覚ですが、いつも呼吸法を通じて息の流れと通り道を確保し大事にしています。
味覚は舌の感覚ですが、口に入れるものは舌と脾胃で滋味の感じられものを食べるようにしています。
特に毎朝、水の味を感じることから始めています。
消化器系統の臓器の働きは最初の味覚とも関係していると思います。
そして触覚、
皮膚感覚は屋外の自然の中での站椿を行い 一年を通じて四季の空気の流れを感じるように訓練をしています。
夏の今は時々海に入ったりして自然の「水」から得られる触覚を楽しむことも大事にしています。
こういった感覚は武術の世界に入って20年以上過ぎるようになってからは、より一段と高くなったと思います。
だからこそこれから10年、20年と経つと更に磨かれていくと信じています。
こうすると時間が過ぎていくことにも楽しみを感じます。
しかし初めのうちは大変だったのを憶えています。
一般人の感じない「もの」を感じ取れるようになると、人にはなかなか理解してもらえないもどかしさもありました。
中国の「屈現」の有名な伝説がありますが、感覚が鋭くなると、鈍い方々の中にいることが苦痛に思うことも経験しました。
しかし、感覚は大事で、宝物だとも思います。
時間が経って直感で見抜けたことをそのまま行動していけば、後になって厄介ごとになり、
降りかかってくるものから いち早く退避もできますし、
予測した通りの積み重ねと努力を続けていけば「その力」はわが身に宿ります。
感じるところは「心」です。そしてその「心」は大脳に通じています。
心のはたらきが鈍ければ、気付くこともできなくなると思います。
「感覚」とは、感じたことを覚えておくことで、表現力にも大いに関係していくことです。
感じるのは、最近多くの方々の感覚は平面的で ずさんになりつつあると思うことがあります。
表現能力においては、画面や図柄に頼りすぎ、大袈裟なアクションに走ったり、
非現実で無意味なものも多く、人々はそれすらも慣れてきてしまったようです。
ものの見方としては、とても主観的が普通になり、
多くの人たちの目に映ったものを通してでないと共感は成り立たず、
一個人としての関心や意見をしっかりと表に出すという意識は働きにくいようです。
実際の世の動きというのは立体的で、複雑に絡まりあい 時間的なズレ、タイムラグもたくさん起こります。
その空間の中で今の時勢を把握し、理解して行動していくことが重要だと思っています。
何事も自分自身の行動の向こうに得られるものは全て第六感ともいわれる「直感」という感覚にかかっています。
これからも頑張って、感覚をずっと磨き続けていきます。