今日は午前、午後、夜と移動もあって1週間の中で一番ハードな一日でした。全力でやるので終わると大きな達成感のある日でもあります。

私は移動時間はいつも読書をします。

今日は「菜根譚」を持ち、読みながら自分自身を振り返り、思い出すことがあれば、それを分析し、反省したり これからの展望にしようと考えています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E6%A0%B9%E8%AD%9A

今日は開いたところに、先ずこの集が出てきました。


前集112 正義を犯さず 権門に近づかず

公平正論、不可犯手。
一犯則貽羞万世。
権門私竇、不可着脚。
一着則点汚終身。

公平なる正論は、手を犯すべからず。
一(ひと)たび犯さば、則(すなわ)ち羞(はじ)を万世(ばんせい)に貽(のこ)す。
権門(けんもん)の私竇(しとう)は脚(あし)を着(つ)くべからず。
一(ひと)たび着(つ)かば、即(すなわ)ち汚れを終身(しゅうしん)に点ず。

訳:

公平な意見や正当な議論に対しては、反対をしてはいけない。もしちょっとでも反対をするとその恥を後々までに残すことになる。

権力のある家や自分の利益ばかり計っている人々の所には足を踏み入れてはならない。その消すことのできない汚れを生涯持つことになる。



今、思うに この文はいろいろと考えさせられる一文でもありました。

一つは、 ただ 文章のように受け止めること。


そして、もう一つは、

公平な意見や正当な議論には反対をしてはいけない。


つまりは「公平な意見や正当な議論」でなかったら、反対をするべきだ。



権力のある家や自分の利益ばかり計っている人々の所には足を踏み入れてはならない。

これは、世の多くが権力に媚び、自分の利益ばかり計っているところに「足を踏み入れている」と感じます。


今の祖国の日本国家を愛し 大事にしたい思いや、中国との関係のことを考えます。

中国政府とか、その影響を受けている人は常に自分が、あるいは自分達が絶対的な「正義」であると成りきっていることがあります(批判は過ちであり、悪という考え方)

プライド・誇りもない、政治経済的に有利に立ちたいと考えて活動ばかりしている、身勝手な人間たちばかりが増え、歴史ある文化を独自に持つチベットやウィグル族の皆さんの平和と安定を思ったりもします。


前集123 心を許してはいけない人物

遇沈沈不語之士、且莫輸心。
見悻悻自好之人、応須防口。

沈々(ちんちん)と語(かた)らざる士(し)に遇(あ)わば、且(しばら)く心を輸(いた)すこと莫(なか)れ。
悻々(こうこう)と自(みずか)ら好(よ)しとするの人を見(み)れば、応(まさ)に須(すべから)く口を防(ふさ)ぐべし。

訳:

静か過ぎてものも言わず、その心がわからない人には、とりあえず自分の本心を語ってはいけない。

怒りっぽくて自分だけは正しいと思い込んで、人の言う事を全く聞かない人とは、話しをしない方が良い。


これはかつてにいっぱい失敗をしました・・己のミスですね 反省です。

人に気を遣うあまりに「心がわからない人には、とりあえず自分の本心を語ってはいけない」

人によっては寂しいのかと思って、楽しく盛り上げようと、たくさんしてしまいました。

それから後にそれ「自分の本心の隙」を利用されて嫌な目にも会いました、気をつけなければいけない、と思います。



前集128 艱難辛苦は天の試練

横逆困窮、是鍛煉豪傑的一福鑢錘。
能受其鍛煉則身心交益。
不受其鍛煉則身心交損。

横逆困窮(おうぎゃくこんきゅう)は、是れ豪傑(ごうけつ)を鍛煉(たんれん)するの一副(いっぷく)の鑢錘(ろすい)なり。
能(よ)く其の鍛煉(たんれん)を受(う)くれば、即(すなわ)ち身心(しんしん)交(こもご)も益(えき)す。
其の鍛煉(たんれん)を受(う)けざれば、即(すな)ち、身心(しんしん)交(こもご)も損(そん)す。

訳:

ひどい仕打ちを受けたり、困難窮乏の苦労をすることは、すぐれた人物を鍛え上げるのために天から与えられた、人揃いの金属精錬の設備のようなものである。

その試練を受けることができると、身と心の両方とも利益を得ることができるし。受けなければ身と心の両方とも損害を被り だめになってしまう。

誰もが、試練はありますが、頑張っていきましょう!