ここ数年日本社会では勝ち組だの負け組などの言葉がよく並んでいます。
勝ち負けは経済的な裕福さを指すみたいですが、ただ一過性の大した意味はない表記だと思います。
しかしながらしっかりと分析をしてみれば、
どこかで勝者・敗者を区別して「うまくいったこと」と「うまくいかないこと」をはっきりしておきたいという時代の願望があるのかも知れません。
「うまくいかないこと」は自分の新しい能力を高めるための時期、チャンスだと思っています。
とにかく何でも行動・アクションが大事です。
そのアクションからヒントを得て積極的に活かしていく、ということで、何も行動を起こさないで自分の内面の世界のみに漂流している人とは差が開くとは思います。
「負け組」なんて決め付けずに「うまくいかないこと」を「うまくいくこと」に変換する努力をすることです。
最近は昭和20年代に書かれたプロレタリア文学の蟹工船が爆発的に売れ、この作品に共感する人々が多いといいます。
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しかしちょっと違うな、と感じることは、この時代背景と今では全く状況や環境は異なっています。
今の日本ではインターネットや携帯電話も普及し、お店に行けば食べ物も余るほど揃っていて、社会環境も整っています。
便利なところは気楽に享受して「気に入らないところ」にはただ悲観的な意識部分にクローズアップすることはふさわしくないとも感じます。
かつての日本では風潮として、社会構造の上層部への批判したりすることがあれば、とばっちりを後でくらうような傾向がありましたが、
現在ならば、もし問題があるところを感じたら、自分ならこういったブログを通じてや、
その他様々な面でどんな方法でも正しいと思える意見や批判などを述べることができるはずです。
そしてその事が後に世直しとしての大きな潮流になっていくことだってたくさんあります。
最近は政治家よりも遥かに博識の高いジャーナリストの皆さんがTVにも出ていて、勉強にも参考にもなるはずです。
「うまくいかないこと」は原因がどこで、どういう人たちが、何をしたから「今、現在」そうなるのかを自分で調べ、解決に乗り出し、努力をすれば、いい方向に向かって行くはずです。
それを「改善」や「改革」と呼んで、誰もが知っていることだと思うのです。
「良くしよう」という行動や努力もせず、「良くしたい」ための希望も言わず、「どうなりたいか」という意見もなしに物事がいい方向へ向かうとは思えません。
そのこと故にただ安易に、自分をあきらめてしまうことをしてはいけない、と感じます。
自分の親友や仲間の多くには、日本から飛び出して、初めは右も左も言葉もわからない場所で毎日を必死に自己実現を頑張ってきた人々もたくさんいます。
自分も一人で海外で出るときは、何時だって出たとこ勝負で堂々と自分の力でやってきました(そうやらざるを得ないのです)
生き甲斐は必死で大変なところに、その芽は育ち続けています。
日本では、この10年間は「失われた10年」と呼ばれた不景気という、望まれぬお土産を置いていかれたものを、改革を重ねながら 様々なところでの苦労によって世界における経済状況を改善し続けて今を作っています。
だからこそ、良くしたいのなら これからの10年を築いていく今この瞬間を誰でも持っているはずです。
時間を止めてはいけない、と思います。いい時も悪い時も、流れる時間は一緒です。
自分の心の在り方がしっかりしていれば悪い時、例えば「負けて悔しかった時」「辛くて苦しかった時」もいずれは思い出のひとつとして、
そしてそれはまた人のためにやさしくしてあげられる経験の知識として自分に残るものです。一過性の勝ち負けなんか関係はありません。
川の流れる水を見ながら、思うことは「流れる水」を見続けることはできません。ほんの目についた一瞬の水はあっという間に流れていきます。
時間は止まらないのです。
流れる川の水。打ち寄せる波。漂う空の雲。人の流れ。
全ては動き続けているものばかりです。