人間が生きていくのに一番大事なことはコミュニケーションだということは誰でも知っていると思います。

コミュニケーションをよくするために世の中は多くの便利な道具:ツールをたくさん生み出して来ました。

そこで、一番良いコミュニケーションの姿とは何か、を考えたら

やっぱり「関わりの実感」の濃さ だと思います。

最近の世の人々は面倒くさい、とか あまり関わりたくない、ということが増えている反面に、

どこかでまた深くその「関わりの実感」を求めている、という複雑な矛盾が生じているのが判ります。


自分は日常生活のすべてに「関わりの実感」を大事にするために全面に押し出しています。


レッスンでは、

相手が「くどい」と思えるほど何度も何度もくり返し語ります。そして何回も何回も一緒に練習します。


学校の部活では、様々な自分の今までの経験から学んできたこと、

大事にしてもらいたいことをふまえて武術の楽しさ、身体を動かすことの重要性、仲間同士の連係の大切さを言います。ここでもたくさんのことを実際に演示をします。


武術の普及では、先ず社会に生きる人間として 

健康面を良くすること、精神力の尊さ、今や日本でも安全が失われていく中での攻防意識・護身術を身に着けてもらえるように、ここでもまた何回も何回もやります。


これらは全て「伝えたい」からです。


声に出し、身体を動かし、心からやらなければ物事は伝わらない。

「以心伝心」とは、伝わるようになった人同士の中で成り立つことばです。

怠惰な人たちに都合よく使われることばではありません。


人によっては私のようなキャラクターが鬱陶しいと感じる人もいると思います。

自分が感じたことは、最終問答まで行き着いてまで考えてやっています(事因りて、事生ず 因果応報の原則)

世間を見ると 問題が起きるとは思わなかった、事件になってしまった。

世の中が信じられない・・いろいろとあると思います。

ある時、自分はいつも「自分の中」に そういった要素は含まれていないか?と自問したことがあります。

もしあるのなら、それを完全に消すことからだ。

自分がクリアできてきたら自分の周りに伝えたい人があったら「伝えること」なのだ。


こう感じてからは一層更に活動的になることができました。

誰も面倒くさがって大変だからと、やらないことなら「自分」がやってみせる、と思ってからです。

(こういったことは、やらされてやるものではありません)

それに自分で思うことは相手に100%伝わらなくてもいいことだ、とも思っています。

自分の考えだけが正しい、とは思ってはいません。何故ならこれほど多くの人間がいて表現方法も多種多様だからです。

一つの考え方だけが正しい、ということも世の中にはないと思いますし あったら不自然にも感じられます。

しかしながら誰しも心の中にある思いを何らかの形で結晶させてまとめる努力はするべきだと思うのです。


コミュニケーションが苦手とか口べたとかあるかも知れませんが努力で成し遂げられるものだと思っています。

信じられない世の中になってしまった・・人格:人間の品位と性格が落ちぶれてしまった・・

と憂いて嘆くこともあろうかと思います。 

しかし、

信じられる世の中になるように、取り戻せるように努力を一人ひとりがしていくことだと思っています。

それは、

格好悪いと見えたっていい。笑われたりバカにされたりでいい。

自分の心から感じて「正しい道」を歩き、やるべきことをやっていく。

それに尽きると思います。