今までにたくさんの人達と様々なところで出会ってきました。

その中で本当に友人と呼べるのは「友情」という絆でつながっていることだと思います。

中でも大切なのは「情」の概念だと思います。


「情」という字は心の意を持つ「忄:りっしんべん」に「青=清い」を合わせ

「人間の生まれながらの美しい心」、転じて ありのままの「意」をあらわす。(新字源より)


今の時代は全世代において更に薄くなりつつあり、どこかで もうあきらめかけているようにも感じます。

確かに便利な時代になりました。魅力的に思える様々な商品が次々へと出てきます。

気に食わなければ交換したり、オークションで売ってしまう、そこにはもちろん何も「情」はありません。


利用できなくなったら「用」はなし、だと思います。


何時の日からか、友人もそう、家族もそう、仕事場でもそういう傾向がみられます。

いずれは国家に対してもそうなっていくのかも知れません。

思うに時代の変化は、それはそれで受け入れなければならないことはあるのですが、

大切な「情」は変わらずに持ち続けたいと思います。


「良いものは良い」「駄目なものは駄目」

「情」つまりは「人間の生まれながらの美しい心」は誰でも持っているはずです。


その「心」をオークションで売り飛ばしたり、買い直せる、なんて思わないで欲しいと願っています。

時代は今、仮想なのか現実なのか不明瞭の中に生きている人が多くなってきています。

それは仕事がつまらないから、学校がつまらないから、

今いるところに不満がある、人に恵まれていない・・それはそれで個人的にいろいろと理由はあると思います。


それは何時の時代でも同じことは必ずあり、だからこそ芸術や体育運動、

スポーツなどの文化を生み出してきて、今ある現実を実際に良くするための役割を果たしてきました。


そのために今生きていく中の「現実」の中で

一番大切にすべきことを大事にすれば、少しずつでも必ず良くなって行くと思うのです。


人間を大事にしないで、コンピューターなどの機械や、

誰かが人工的に描いたり作り上げた空想世界が本当に幸せな世界ではない、

ということにも気付いて欲しいと思います。


インターネットを通して本当に「人のこと」を大事に思ってくれているかどうかを疑問に思うことも日々たくさん感じることもあります。

もちろん中には本当に良い人たちもたくさんいるとは思いますが、危険な人たちもたくさんいることも理解しなければいけません。


しかしこういった状況が今や小中学生、高校生たちのようなまだ本当の世間を知らない子たちが巻き込まれたり、

それをも信用してしまうことの危うさを感じます。

ここ最近自分の感じてきたことの中で思うこと。


とにかく身近の人を大切にすること。

自分の実際にできることを大事にすること。


それが「情」の始まりであり、信用が生まれることだと思っています。

それが出来なくて、どこでできるのか、と思います。



いつもつまらないことにこだわっていますが、大事だと思うことをメッセージに載せて発信し続けたいと思います。