またニュースの中では、信じられない出来事が起きて報道されています。
「男」として生まれたのなら「男」の性分を果たして日々を生きよ!
と言いたくなることが日々の中で感じることが多くなりました。
思い出すと かつて日本の昔話しの「桃太郎」には お爺さんは山へしば刈りに、お婆さんは川へ洗濯に・・とありました。
これは、女性はその繊細で気遣いのできる性分で、家の内を守りながらも そのことがうまくいくように努力をしてきたのだと思います。
そして「男」なら 家の外に出ては、何にでも働き 聖なる山に入っては多くの野性動物や植物を観察しては食料になるものを見つけては持ち帰るのを業としていました。
稲作が始まれば協力し合い、性分の特徴を最大限発揮しながら多くの生き物達と共存しながらも生きてきたのだと思います。
そういったところから素朴に「男は男らしく」「女は女らしく」という言葉も自然発生的にできてきたことでしょう。
ここ数年、直感で感じることは「ある 男たち」の能力が年々ダメになっていると感じます。
見渡すと、PCと携帯電話での操作能力は長けていても、実際の生活:たとえば身体面での過剰な飲食あるいは喫煙による 不都合な体(肥満体:運動不足:肺の疾患)を抱え 自己意識管理さえ自分でできなくなる人が増えています。
思えばこれらになったのは自分の意識であり、責任であって管理能力が低いことであるのに それを他のせい(マック裁判のようなことを起こしたりする巨バカは言語道断)にする人が多くなりました。
するとリアルタイム:現実で精神的な自覚の中でも悲観的になりやすく「自尊心」を守ることさえできなくなり(常に内向的で意味不明な自己愛を正当化することに耽る人間)
今までに楽をして自分だけは金銭的にあるいは地位を得ようとする事のためにやってきて いつも人任せにしてきたからか、自立はできなくなります。
コミュニケーションでは、思ったこと 感じたことを言葉を成り立たせて声にして発し、表情と全身を使って伝えること もできなくなり、
人の話を聞き取り理解し 考え応対していくことで円滑な人間関係を構築し、相互信頼を高めること・・これらを自己放棄してしまい行えない人間。
こうなったら「ダメ男」たちと言っていいと思います。
たとえ「学歴」が多くの人の知られる名前の学校を卒業しようと、
名声のある会社:カンパニーにいようとも、国家公務員やブランドを感じさせる立場にいたとしても、
上記ができなければ、人間としての能力は高いとはいえないと思うのです。
世界中にはたとえ身体が不自由だと世の人は感じようとも芸術やスポーツで素晴らしいパフォーマンスを発揮し、素晴らしい人格を備えた方々もたくさんいます。
五体満足で衣食住に恵まれていても、
人間としての「思いやり」や「やさしさ」のない 不幸の種を蒔く人間は「疫病神」に近い存在といっていいと思います。
世の中が悪くなるのは、こういった人たちが堂々と身勝手にのさばると時代の傾向や風潮が悪い方向へと向かっていくのだと思います。
天は必ず見ています。時には罰が起こると思います これらには裁きを受けて当然でしょう。
あるいは裁きなしに気付かない人間が開き直ると危険な事になると思います。
それを「正義」というと思うのです。
今やこんな時代では「正義」を守るのも「闘い」なのかも知れません・・
ちょうど今、遠くで雷が鳴っています。
大自然は時々、非情な形に見えても世の多くの「疫病神」たちに向けて「風」を吹かせ「雨」を降らし 轟音を立てて戒めを行うことがあるのだと思います。