夢を見る、というのは子供にだけ与えられたものではない、と思うのです。



自分は小さな頃から、大人たちの頑張る姿や

同年代や先輩・後輩のひたむきな努力を見ながら感銘を受け 自発的な努力を積み重ねてきました。

そして今があります。



振り返ってみれば、有難いことに 

自分も少年の頃に夢見ていたことを 大人になってもまだ頑張って続けています。



いくつかの夢は実現し、また新たな目標や夢を見られるようになりました。

無論、途中には挫折しそうになったこと 痛みや苦しいこともたくさんあって、七転び八起きでやってきました。

きっとそれはおそらく人は誰でも同じであろうと思います。

そして何時の日か 自分の成長に伴って 夢も成長していくものだとも感じます。

「夢見ること」を大事にしたいのは、いつか自分の努力によって 


誰かに喜びを伝えられること 共に感動を分かち合えることだと思います。



これは、現実を見ていない逃避行なのでなく、

その今の現実を理解して、もっと高みに持っていきたいからこそ「夢」を持ち頑張りたいのです。



「夢」を儚いと思っている方は、


いつも自分だけ満たされたいとばかり願い 関心を持っていたりすると 


結果として自分の満足にも飽きてしまい 


物事やその見えている世界を「儚く:はかなく」感じるようになって行くのかも知れません。




しかし、これは人それぞれに感じ方は異なるものでもあるでしょう。


こうして分別もついて、大人になったからこそ 何時だって「夢」を見て頑張るようにしたい、と思っています。

自分をあきらめて、誰かに依存して生きていくよりも、

大変でも自分をあきらめないで、未来に希望を持つこと 


それは誰であっても どんな状況であっても それぞれの生き方は全て尊いことだと信じています。



自分の人生は他人の書いたシナリオに生きるのでなく 


今現在何も書かれていない自分のストーリーを必死に駆け抜けていくことだと思います。




そして、そのストーリーは人それぞれにある。