今回は、たまには普通の日記です。

(週に数百人単位と接し、様々な街を歩き、数社のフィットネス企業の中で仕事をこなし多くの人々と接していると語りたくなることが多くなるものですからね・・仕事は肉体労働ですが、それなのに何故か身近にPCはいつもあり、自由に使えるために ありとあらゆるところからでの長文、いつもすみません 便利な時代って意外と不思議)
長文いつもすみません)


金曜日は午前はスポーツクラブでレッスン、午後は学校の部活、夜は武術院の活動で、ハードな1日ですが、とても有意義な日です。

午前は太極拳。ゆっくりと皆さんと共に楽しく太極拳を行い、心地良い時間を過ごしました。


午後は、公立学校の部活での指導です。新学期になり、新入生が入ってきました。

今までの1年生が2年生になり、先輩になり頼もしさを感じるようになりました。

2年生は、3年生ですから進学に専念するようになるので だんだんと受験対策に頑張るようになるでしょう。

今までに身に着けた体力や集中力が必ずや、いい成果に結びつくと信じています。

卒業したみんなも気軽にいつでも母校に戻ってきて一緒に練習ができるといいな、と思っています。

今年は卒業生も一緒に秋の9月に行う武術院の交流演武大会や、11月の代々木の大会のエキシビジョンができたらな、とも思います。

ギリギリまで部活の指導をして、横浜に戻り すぐに武術院の練習活動へ向かいます。

ここでは 4月になり、また皆さんと共に新たな目標に向かって楽しく協力し合って武術の素晴らしさを、

時間をかけてより コツコツと仲間達と力を高め 親交を深めていく のが特徴だと思います。


地域密着の武術活動なので、特に時間をかけて大事にしていることがあります。

それはスポーツクラブも学校の部活も全て同じですが、「功法」を重視しています。


中国武術運動は「功法」「套路」「格闘(攻防)技術」の三つが伝統文化として、

体育運動として 防身自衛術として確立していることが素晴らしいのです。


これが世界中の他の格闘技系運動・スポーツにないことであり、

それを多くの方々が「カンフー:功夫」といっているのだと思います。


その中で特に重視しているのは「功法」です。

「功法」とは、武術運動を通じ、自分の能力を高め続け、

過去の己を乗り越えていくことで身に着けた「技・力」のはたらきが未来へずっと高めていくことをいいます。


「套路・型」「格闘技術」のみでは、必ず行き詰まります。

何故なら人は、ただ優劣をつけることだけを続けるのは不可能だからです。

比較による優劣をつけて、勝ち続けることばかりを考え、

継続すると、自分以外への敬意は薄れていくように見えます。


「唯我独尊」の考えは「弱者」のためにあり、

強くなったという証には、そこから脱し 他者のために役立つことを良しとするのです。


1日中、頭をフル回転し、自分で動き、聞き そして語り合う、これは自分にとって宝物です。


ずっと永遠に続ければ、未来はとても楽しみだ、といつも思います。

多くの人々は「老いること」を恐れているようですが、私は「老いること」に喜びと期待を持っています。


何故なら、今よりももっと自分は賢くなっているだろう、と思うからです。

年をとり、老人になり自分がその頃、どれぐらい動けるだろうか。

今できる動作が、どれがもっと良くなり、

どれはやりにくくなるのかな。なんて思いながら自分に語り、できる限りやる。

自分は、いつしか老人になる「自分」をも期待しています。


かつて変な「少年」は おかしな「青年」になり、少しいかれた「中年」になりましたが、

思っているよりも、ずっと元気でいい感じの「オジサン」になったと思っています。


これからもっと年をとってからも、クレージーと呼ばれ 頭がおかしい といわれ そんなことを辞めろ といわれながらも ふてぶてしいほど 生命力が強く 毎日をギラギラ生きて 

頼むから早くこの世からいなくなってくれと言われたとしても、それでもまだひたすら「功法」を積んで、

人生の楽しさと人間の力の可能性を高めるだけ 高め 世間の騒ぐ「オリンピック」なんて価値観を壊す そんな活動をしたいと思っています。

今でもオランダに武術兄弟がいて、親友とライバルたちが世界中にいるから(まだ蘇る武術仲間もあるだろう)共に、楽しかった「青春時代」から、それを変わらずに「老年時代」までやってやる、と思うと いつまでもずっと毎日が何があっても楽しくなるものです。

「老人」の「老」の意味を 寂しく感じたり 恐れおののくのではなくて、

楽しく素晴らしいものなのだと変えてやる、と思うのです。