久しぶりに、北鎌倉にやってきました。
今日は「お参り」です。
まだ紫陽花がきれいに咲いていました。
明治の文豪夏目漱石の三部作 三四郎 それから 門
の締めくくりの作品の「門」に出てくるのが「円覚寺」です。
鎌倉時代の禅の総本山でもあり、静寂の中で佇んでみました。
思うこと、学ぶことは来る度ごとに感じます。
そして、明月院。
あじさい寺としても有名ですが、
私にとって「縁」があるのは、
北条時頼のお墓があり、
その墓碑に書かれた言葉に、
6年前にとても大きな感銘を受けました。
その時の日本はまだ不況の真っ只中で、
出口さえ見えなくて「閉塞感」に覆われた時でした。
世の中では、人を利用し 身勝手で「ひとりよがり」な人間が増え、
常に自分さえ良ければいいと考える人間が激増しました。
心に「ゆとり」や「やさしさ」が無くなると人は落ちぶれていくものです。
時は小泉政権が、「聖域なき構造改革」を謳い、
着手し、多くの抵抗勢力に反発をくらいながらも
懸命に頑張ってた頃です。
その時私は「32歳」
ある想いを胸に、
時間さえあれば「山歩き」をしていた頃です。
丹沢の山や、鎌倉の山をよく歩きました。
鎌倉の山歩きの帰りに、
ふと「明月院」に立ち寄りました。
そして北条時頼のお墓があり、
手を合わせ、しばらくその静かな場所にいたところ
墓碑に書かれてある言葉に目を奪われました。
北条時頼作「春流」
「春流高于岸。 細草碧于苔。 小院無人到。 風来門自開。 」
中でも最後の言葉、
「風 来たりて、門は自ずから開く」
ここで私はしびれるような衝撃がありました。
それから、
私も、自らの出来る全ての中で決意して、
「聖域なき構造改革」に着手しました。
それからは「改革」「改善」「革新」の日々でした。
6年間が過ぎて、ようやく時代も落着き、
改めて尋ねたくなって、やってきました。
「風 来たりて、門は自ずから開く」
そして、また私は心から手を合わせました。
そこに湧いた ある心持ちは、
「感謝」です。