老子が説く、「無為自然」 に思うこと。
時に「不可能」を「可能」にもできる
偉大なる「大自然の力」 は存在します。
思えば普通は「可能」は「可能」だと感じるものですが、
その「可能」を「不可能」にしてしまう人が
案外多いのが解ります。
「自然」は「自ずから、然る:おのずから、しかる」
ということで、
事によっては「不可能」を「可能」にすることが、
「自ずから、然る」にもなるものです。
こうしてみれば、世間では、
言葉の意味の含める範囲を特定した、一つの意味だけだと
決めつけていることがよくあります。
頭の中だけで理解しようとすることは
「危うさ」さえ想うことがありますが、
「無為自然」
「自然に任せて何もしない方がよい」
これも一つ解釈さえ間違えば
「怠惰な人間」の自己正当化になってしまいます。
もっと具体的にすれば、
「不自然なことはしてはいけない」
の方が分かりやすいと思います。
人々が感じる、何らかの「困った出来事」には
不自然な要素が必ずあるものです。
世における「不自然なもの」は結果として
必ず後で、その意味のないことを自然に人々が明らかにしてしまいます。
人の仕事や役割は、
自然で意味も意義もあることをしなければならない。
つまり「自然ではない」ことは、何一ついいことはありません。
毎日ニュースで流れる問題の数々
「人間関係」「健康問題」「環境問題」「政治問題」「社会問題」・・
人間は、役立たない知恵や工夫ならば、
まだ持たない方が幸せだったのかも知れません。
「自然に任せて何もしない方がよい」
「川の流れ」は必ず、
流れる力のある方向へ任せて行き、
流れのないところは停滞することで「濁る」もので、
それは何もせずとも、誰の眼にも明らかに映るものです。